梅雨も明けて、茨城に猛暑が到来しました。暑中お見舞い申し上げます。
さて、参院選挙が終わってあのような結果になったにも関わらず、政権幹部はなぜ国民の信任を得られなかったのかが、まだわかっていないようです。まず第一点は鳴り物入りで設置された国家戦略室の廃止であり、第二点はシーリング復活の動きです。昨年の夏にお示ししたマニフェストは、これまでの予算作成のプロセスにとらわれずに大胆な予算の再編成を行うからこそ実現が可能であったはずです。私個人も官僚時代の経験からして、事業仕分けのような「無駄の削減」のための細々とした作業では財源は生まれえず、むしろ選挙で選ばれた政治家が「より必要な予算の手当のために、より必要ではない予算を削る」という大胆な決断をすれば、マニフェストは実行可能であると今でも考えています。マニフェストがデタラメだったのではなく、マニフェストを実行するための政治的行動が未熟だったのです。
賢い官僚が幾晩も徹夜をして練りに練って作った予算。そう簡単に「無駄」と判定できるような予算は、額ベースではあまり大きくありません。これまで事業仕分けで出されたものは、官僚の「ドジ」ともいうべきもので、「無駄」の本丸ではありません。だからこそ、国家戦略局が必要であり、一律各省○パーセントカットという財務省的なシーリングに代わる予算編成プロセスが必要なのです。それを、国家戦略室を廃止し、シーリング的な手法に戻すという報道がされています。これでは、自民党政権時代と全く同じ。確かに自民党政権時代と同じやり方をすれば、政権運営は安定します。その代わり、日本が抱える問題を解決するような思い切った政策は何一つ実現いたしません。
これでは、何のための政権交代なのか、国民の皆さんにとってわからなくなってしまうでしょう。昨年の夏に示したマニフェストは、単なる政権を取るための手段、愚かな魚を釣るための「毛針」にすぎなかったのでしょうか。私自身も、なぜ志を立てて、官僚を辞めて苦労をして政治家になったのか、意味がわからなくなってしまいます。今の執行部は支持率の低迷、参院選の敗北によって浮き足立っているとしか思えません。夏の間は、議員同士で話すことも少なくなってしまいます。だからといって、時計の針を戻していいわけがありません。今年は暑苦しい夏になりそうです。