福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

福島原発事故独立検証委員会報告書

 私が長年親交をさせていただいている元朝日新聞主筆船橋洋一さんが作られたシンクタンク・日本再建イニシアティブが、福島原発事故独立検証委員会といういわゆる「民間事故調」を設立し、このほど報告書をとりまとめた。昨年の福島第一原発での事故対応に携わった人を中心に膨大なヒアリングを行い、その生々しいやりとりの一端を紹介するとともに、対応の適否を冷静に分析している。私もJCO事故の対応経験者、原子力災害対策特別措置法の立法関係者、原子力安全保安院の立ち上げに関わった人間として、何度かヒアリングに応じてきた。

 当初この検証委員会は、政府に何ら危機管理の備えができていない中で、菅総理をはじめとする官邸がパニックを起こして、数々の問題ある対応をしてしまったという仮説を立てていたようだ。それに対して私は、JCO事故の反省を踏まえて作られた原子力災害対策特別措置法の立法の精神、それに基づく詳細なマニュアルの存在、防災訓練をはじめとする新しい原子力防災政策があったにもかかわらず10年間で風化してしまったこと、などを詳細に説明し、政府に危機管理対策がなかったのではなくて、すでにある道具を活用できなかった、あるいは道具があるにもかかわらず錆びついてしまっていた、というような認識を示した。このような意見を反映して、報告書は以下のようにとりまとめている。

「官邸の中枢スタッフの一人が今回の対応を「場当たり的」と述べたように、官邸の政治家らは国の原子力災害対策の基本的枠組み、すなわちオンサイトのアクシデント・マネジメントに関する原子力事業者と国の協力のあり方や、政府内における関係省庁間の具体的役割分担について、基本的な認識を欠いたまま泥縄的な対応に追われていた。仮に原子力災害対策マニュアルの想定がそもそも十分ではなかったとしても、基本的な制度認識なくしては想定外の事態に対する適切な臨機応変の対応を期待することは困難である。頻繁に閣僚や政権が交代する中で、危機発生時に危機管理の中枢に関わる政治家らに対して、基本的な制度設計や対策マニュアルを如何に周知するか、前提となる教育や訓練のあり方や危機発生時のアドバイス体制などにつき、早急に見直し強化する必要がある。」

 私は10年前に自分の故郷で起きたJCO事故に衝撃を受け、その後の原子力防災体制作りのために米国のNRCの事例などを研究し、その時点では世界に恥じることのない原子力防災体制の構築に向けたスタートを切るだけの仕事をしてきたつもりだ。たとえば、政府がやる防災訓練は形式的なものになりがちなので、シナリオをあらかじめ提示しないでそれぞれのポジションの人がどのような動作を行うのかを確認する実戦的訓練をするための予算をとったりした。しかしこの予算は事業仕分けの対象となり、「仕分け人」だった私がその評価を行わなければならないという皮肉なものとなっていた。そのような実戦的防災訓練の予算は、文部科学省の外郭団体の飯のタネに堕してしまっていたのだ。

 政府は原子力規制体制の抜本的見直し策として、経済産業省にある原子力安全・保安院環境省に移管する法案を国会に提出している。私は、これまでの党内の議論において、問題の本質はどこに規制担当組織があるのかではなく、これまでのように役所内の人事異動でたまたま配属された官僚が責任感もなく仕事をやるような仕組みではなくて、専門家が科学的知見から責任を持って判断をするような安全文化の転換を行うべきであり、そのために「三条委員会」という政治や政策官庁から独立した組織とすべきことを訴えてきた。キャリア官僚の影響が小さくなる規制組織を作ることを懸念してか、こうした議論に対して、役所からは四の五のと反論がなされ、残念ながら政府提案の法案としては実現できなかった。
 
 一方、私の尊敬する塩崎恭久衆議院議員らが中心となって作られた国会原発事故調査委員会という、政府から独立した画期的な機関において、三条委員会としての原子力規制組織の設立が提言される方向であると報道されている。政府の案と国会の調査委員会の案と、与党の議員としてどちらを選択するか。原子力安全行政がJCO事故後の10年間と同じような末路を辿らないためにも、私は国会議員として何が正しい道か、悔いの残らないような選択をしていかなければならないと考えている。

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