笠間市役所の支所が移転オープンしたり、水戸の新市役所の構想が固まってきたり、弘道館の工事の足場がなくなって瓦屋根が見えてきたりするのをみたり、農村を回っていて「震災後の東電の補償がなかったら今頃やめていたよ」と昔話のように語る姿をみると、現職時代にお手伝いをさせていただいた復興事業が地元ではようやく形になってきているのを実感いたします。
一方で、今なお進まない東北の太平洋沿岸の復興、汚染水との戦いが続いて廃炉までの気のお遠くなるような道のりを抱える原子力災害、昨年の追悼式で天皇陛下がおっしゃった「この大震災の記憶を忘れることなく,子孫に伝え,防災に対する心掛けを育み,安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います」というお言葉を胸に刻まなければと思います。そして、西欧近代文明を借りて築き上げてきた一時の繁栄の社会システムの儚さと、どんな自然の試練を受けようが変わることのなかった日本人の利他の心、支えあって成り立っている社会の大切さを守り続けていきたいと思います。
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