かつて経済産業省生物化学産業課(通称バイオ課)にいたとき、ITをイットと言った森総理のミレニアムプロジェクトでバイオとITには膨大な予算がつけられ、理研のトイレットペーパーは1万円札をつなげて作られているなどと揶揄されていた。科学技術庁所管の理研で、ある研究者に大きな予算がつけられると、ライバルの研究者は経済産業省の産業技術総合研究所(産研)の資金を目当てにバイオ課に寄ってきた。そのとき、ライバル研究者のお金の問題から女性問題まで、あることないことを嫉妬心もあってぶちまける研究者もいて、科学研究の世界は政治の世界と同様、いやそれ以上に汚らしいものだと実感をした。ときどきイタズラ心で、「理研」と書くところを「利権」とわざと変換ミスをしたペーパーを作ったりしたものだ。
今回の件も、そのような臭いが漂う。予算の重点配分と運営の柔軟化ができる「特定研究開発法人」の指定を控えた政治的な判断がなかったとは、言えないだろう。客観的に見て、日本の政府系研究機関は属人的要素に基づく組織内政治が強すぎて、肝心の研究成果を第三者的観点からレビューする機能が弱すぎると思われる。多くの先進国は、研究自体の質とともに、研究を評価することの質も重視している。素晴らしい研究成果を出した研究者と同様に、その研究を正しく評価した科学者も評価をされる。ネイチャー誌にしても、評価の厳格さと確かさがその権威の源となっているのだ。
かつての原研の原子力船むつ、動燃のもんじゅなど国の大規模研究プロジェクトで失敗してきたものは多いが、今回の騒動をみてそろそろ国の研究プロジェクトが抱える本質的な問題を正面から検証し、国が科学研究にどのように関わるか根本的な見直しをするべきであろう。膨大な予算が使われる科学研究が、特定のボス学者の「おもちゃ」になるのではなく、かつての「二位じゃだめですか!」の事業仕分けのように予算制約ばかりでコントロールされることもないように。
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