○今日は茨城新聞129年目の創刊日とのこと。社是では、「独立不羈を堅持して県民の幸福と繁栄のため、正しき戦闘者として奉仕する」と高らかに謳っている。
私は、茨城県で起こるさまざまな事象を多面的に批評する場として、このような地方紙の役割は極めて大きいと考える。活字による言論の場がなければ、健全な県民輿論は生まれ得ないだろうし、政治や行政にとっても適切な言論による牽制がなければ堕落したものとなるであろう。
しかし、私は最近の茨城新聞の経営には疑問に感じざるを得ない点を多く持っている。活字メディアの環境が茨城県のみならず全国的に厳しい中で、経営を維持していくのは大変なことであろう。しかし、それ故筆鋒を鈍らせ、「正しき戦闘者」であることを止めてしまっては、メディアとしての存在意義はないだろう。
たとえば、先の原発再稼働に対する県民投票条例に対する論評は、全国各紙が鋭い分析記事を出す中で、肝心の地元紙が地元意識の薄い表層的なものに留まっていた。「県民の声」欄は、先日も紹介したように鋭い筆鋒のものがある一方で、記者たちによるコラムは平板でプロとは思えない幼稚な文章のものも散見する。
今の時代、ネット記事で少しでも利益をあげようというのはわからないではないが、県内の新型コロナウイルスの感染者の情報を知ろうとしても、発生人数以外の速報記事を有料で提供していることは、経営姿勢として大いに疑問に感じざるを得ない。事実を報道する記事は無料、社独自の記事を有料にするのが、通常のメディアのあり方ではないのか。
県内の政財官界の要人を集めて年始に行う、「千鳥会」のような政治性の強いイベントにも、関わるべきではないだろう。この出席を巡って、毎年さまざまな政治的な駆け引きがあると聞く。今年の年初、亡父の死亡広告をお願いしようと連絡をしても、担当者が千鳥会の準備で中々つかまらなかった。新聞社として、本末転倒ではないかと感じた。
私の後援会には、茨城新聞社のOBの方もいらっしゃる。かつては、「黒い霧事件」などの際に命を恐れずスクープを連発した武勇伝などを聞かせてもらったこともある。保存されていた昭和時代の紙面を読むと、刺激的で鋭い特集記事が満載だった。
私は、今も多くの現場で奮闘している若い有能な記者の姿も見ている。初出馬の時以来のお付き合いで、今も個人的に親しくさせていただいている方も何人もいる。みんな日々さまざまな情報に接して、茨城県について書きたいことがいっぱいあってウズウズしているのだろうが、残念ながら紙面には十分に反映されていないようにも思う。
この沼田社長の文章には、幕末に諸生派として不遇の身となり、明治藩閥政府に対抗して自由民権運動に身を投じ、第1回衆議院選挙に落選した関戸覚蔵が、茨城県民の輿論を草の根から喚起するために茨城新聞を創刊した歴史が、なぜか記載されていない。
来年は創刊130年。辛口の言葉となってしまったが、応援団の一人として、茨城新聞が「正しき戦闘者」として甦り、みんなで支えて、末永く県民に愛読されるメディアとなることを心から期待している。