〇河野大臣は、「国家公務員の働き方改革を進め、霞ヶ関をホワイト化」すると言っているが、本当に本質はそこにあるのだろうか?
霞ヶ関が長時間労働のことは、キャリア官僚として入省する人はみんな知っていて覚悟しているはずだ。私が入省したての頃は、同期の中で「オレは今月残業200時間だよ」などと誇らしげに言い合っていたものだ。私自身、日付が変わる前に家に帰れることはほとんどなく、休日も頻繁に出勤する生活だったけど、それをあまり苦に感じたことはなかった。
「野党ヒアリングなどで政治家にイジメられるから辛い」という声もあるが、全府省の中でその対応に当たるのはごく一部だろうし、与党が圧倒的に強い中で弱小野党への対応など昔よりきつくなっているとは思えない。私が原子力行政やJCO事故対応をしている時の野党議員からの対応などはかなり酷かったが、「そんなもの」と受け流していた。
問題は、霞ヶ関に長い間いると、ドッグイヤーの世界や世の中の動きについていけなくなる恐怖心を持つことにあるのではないか。菅政権になって「ハンコの廃止」などで騒いでいるが、私が霞ヶ関にいた20年前からそのような話はあった。こんなことが今さら注目されること自体が、ピントがずれた滑稽なものだ。まともな知性を持って役所に入った人間なら、国民全員にヘンテコなマスクを2枚配るなどという政策を実行せよと言われて、一心不乱にはたらかされれば、「一体自分は何をやっているんだ」と馬鹿らしくなるだろう。
すなわち、霞ヶ関の役所がやっている仕事自体が、自らが持っていると信じる能力や志と比べて著しくレベルが低く、それと同レベルに自らが堕ちていくのが嫌だからこそ、入省してすぐに霞ヶ関から逃げ出したくなるのではないか。そうだとすれば、辞めていく人たちはむしろ健全だ。
私が通産省の就職活動をしている時に、先輩方から「役所でしか通用しない人間にはなるな」とか、「天下りは恥だから、肩書のない名刺で通用するような人物になれ」と言われた。私は、「国の動かし方を勉強したら、10年で通産省を辞めます」と啖呵を切って内定をもらい、その言葉より早く8年後に退職した。
キャリア官僚で入省した者が、年功序列で何十年もかけて出世の階段を登っていくような制度はやめたほうがよいし、民間やアカデミズムなどから役所の幹部に中途で採用されることがもっとあってもいいと思う。若いうちに役所を離れた人物こそ、一度民間で成果を上げて、その経験を再び役所で生かすようなキャリアパスを辿るチャンスがあった方が良いだろう。
この問題の本質は、政治主導、官邸主導の政権運営が行われる傾向が近年強くなる中で、行政マンとしての専門性を生かしたり、やりがいを感じられるような仕事が少なくなっていることにある、と私は考える。その解決方法は、河野大臣が言うような「霞ヶ関のホワイト化」などではなく、政治家にとってどのように官僚組織を使って政権運営をしていくのか、政と官の適切な緊張関係如何という統治システムの根本の問題であることを、政治家自体が自覚しなければならない。
そして、そうした新たな統治システムを提案することこそが、政権交代を標榜する野党が掲げるべき一丁目一番地の政策だろう。政権転落後の野党勢力にその強い意欲は見られないからこそ、私が国会に戻って成し遂げたい大きな仕事の一つだ。