〇エネルギー政策でときどき対談させていただいている、キャノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹のコラム。
経済紙の読者や学力偏差値の高い人たちは、「日本の農業は非効率で遅れている」と思い込みがちだが、日本の農産物は適地適作、市場のニーズに合わせて、膨大な時間と労力と技術をかけて作られてきた、極めて高度で繊細なものだ。
先の臨時国会では種苗法改正法が成立し、一見合理的・先進的な農政になったように思われるかもしれないが、生き物や自然を相手にする農業は必ずしも近代的合理性が成果を上げるとは限らない。
気候変動、グローバリズムの進展、米国の没落と権威主義国家の台頭などの時代の大きな転換点にあって、生き残る道は意外と自国の過去の時代にヒントがあるものだ。
【幕府が開かれると江戸は大発展し、人口は100万人と当時世界最大規模の都市になった。全国から参勤交代で武士が来て、江戸城を取り囲み武家屋敷を建て、商人や職人も集まった。巨大な消費都市の誕生であり、この「市場の力」が江戸の野菜イノベーションをもたらした】
【種は新しい土地に撒かれ、土壌に合うものが選抜されて、栽培されるようになった。湿地帯では足立のセリや葛西のレンコンが栽培された。現在の北区・滝野川付近では、水はけのよい黒土の台地で長さが1メートルに達するニンジンが育てられた。作柄のよいものが選抜されてその種が撒かれる、ということが繰り返され、各々の土地にあった名産品が育成された。練馬のダイコン、茗荷谷のミョウガ、谷中のショウガ、現在の江戸川区小松川の小松菜などだ。農家による飽くなき品種改良が続けられた。マーケットに鍛えられる中で試行錯誤を繰り返す、というイノベーションの原型がそこにあった】
【江戸時代の農民はしたたかであり、気候対して単に「従う」だけではなかった。むしろ積極的に気候に「逆らった」。新しい土地に作物を導入するたびに、そこの気候や土壌に合うように、品種改良が続けられた。キャベツは当初江戸では生産出来なかったが、明治時代になって葛飾の篤農家中野藤助が育成に成功した。農家は栽培の時期も変えた。これには年を通して畑を有効に利用したいという思惑もあったが、それよりも、高値で売れる時期に出荷をしたかったからだ】