福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

国産ワクチンという幻想

○【振り返れば、歴史的なワクチン行政の体たらくで、日本は「ワクチン後進国」に転落、新型コロナで日の丸ワクチンの早期開発に失敗した。次いで外国製ワクチン争奪戦の緒戦に敗れ、ワクチン接種の早期開始ができなかった】

 思い返えせば昨年の第一波の頃は、「先進科学技術国の日本は世界に先駆けてワクチンを開発できるに違いない」という楽観論が世の中をはびこっていた。厚生労働省は令和2年度第1次補正予算でワクチン開発等のために275億円の予算を計上したことも、そうした期待を煽った。

 しかし、今話題の森氏が総理をやっていた頃にバイオ政策に携わり、政治の世界に転身してからもメガ・ファーマ(世界的製薬企業)のワクチン促進のロビイングをしてきた私から見れば、そんなものは初めから絵空事であった。

 日本でワクチンを開発・製造しているところは、5指に満たない。しかもそのうちのいくつかは、企業ですらない財団法人である。一方、世界でワクチンの開発・製造をしているのは、ファイザー、グラクソ・スミスクラインといった世界規模で事業を展開しているメガ・ファーマであり、1社で兆円単位の研究開発費を投じることができる巨大企業である。事業規模も、日本勢とは一桁以上違う。

 政府がたった数百億円の予算を投じたところで、プロ野球選手と高校球児くらいの体力の差がある中で、初めから日本勢に新型コロナウイルスのワクチンを開発・製造する能力などないのだ。こうしたことになってしまっている主な原因は、日本社会の風土と厚生労働省の製薬政策にあると私は考える。

 病原体から作られた抗原を体内に投与するワクチンには、副反応がつきものである。すなわち、必ずリスクが生じる。これまでも何度も書いてきたが、日本人は「リスク」という概念を理解することが苦手である。リスクという概念は、有害の可能性と便益とを比べた上でそれを受容するかどうかという概念だが、日本人は「安全か危険か」という二分法の下ゼロリスクを求めがちだ。

 だから、最近では子宮頸がんワクチンの例にみられるように、被害の事例が出ると社会的な大問題となり、厚生労働省には批判が押し寄せてしまう。厚生労働省は、そんなリスクのあるワクチンの開発を、みずからの目の届くところに管理して行おうとするから、公的な関与がある数社の寡占体制で開発・製造を行わせてきた。一方の、日本の製薬メーカーは最大規模の武田製薬を筆頭に、ビジネスとしてそれに取り組むことに消極的であった。

 リスクを認識し、それ適切にヘッジした上で、研究開発を行い、商品化することができない企業が、世界的な競争のメインプレーヤになることは、ない。日本のワクチンや医薬品・医療機器は、こうして中国にすら敵わない世界のニッチ産業に堕してしまっているのだ。それは、エネルギーや宇宙産業など他の産業でも同様だ。

 「日本は経済大国」「日本の技術は世界一」と未だに思っている皆さん。この国は21世紀になってから、転落を続け、世界の主要国ではなくなろうとしているという現実から目を背けてはいけない。危機感を持とうではないか。このワクチン騒動を、ちょっと離れた目で見てみれば、日本が抱える本質的な深刻な問題に気付くはずだ。

 行政システムそのものが壊れ、日本的な官民の役割分担が民の成長の足かせとなり、世界規模の競争ができる企業が消滅していっているこの現実を変えられるのは、残念ながら政治しかない。行政システムや制度そのものを変えなければならず、それができるのは政治だけだからだ。

 もはや自民党がどうの、立憲民主党がどうのというレベルの状況ではない。私は20年前に、危機感をもって霞ヶ関を飛び出した。ぜひ、太平の眠りから目覚めて、新しい政治を作るための力を貸していただきたい。

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