福島のぶゆきアーカイブ

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国民投票に関する改正法案への対応

〇今回の立憲民主党の憲法改正の国民投票に関する改正法案への対応は、護憲派にとっても、改憲派にとっても、一般の国民にとっても、理解しがたいものであろう。私も、なんでこんな対応しているのか、よくわからない。

 立憲民主党は、改正法案が提出された2018年以降、約3年にわたって採決を拒んできた。そもそも、この改正法案は、国政選挙などと平仄を合わせて、商業施設や駅などで投票できるようにしたり、投票所に中高生などを同伴できるようにしたりする投票の利便性を向上するためのもので、内容に異論はほとんど生じ得ないものである。「この法案の内容に反対である」とは、公党として国民に説明はできないであろう。

 それまでは「CM規制などが不十分」などとして反対してきたが、今回CM規制などについて「法律の施行後3年をめどに検討を加え、必要な法制上の措置を講じる」という附則が加えられることを理由に賛成に転じることとなった。この「検討規定」は、大部分の法律に規定されている定型的な規定で、検討の結果新たな規制などが加えられるかどうかは、何ら拘束性はない。いわば「おまけ」のような条文だ。この程度の修正で賛成できるなら、これまでいつでも賛成することができただろう。

 昨日の憲法審で、立憲民主党の今井雅人氏が「(CM規制など)次の問題を解決するまで国民投票の実施はあってはならない」と表明したとのことだが、国会で成立させた法案の施行が附則に規定されているだけの検討規定を根拠に効力を発揮できないなどという法律解釈は、さすがに無理筋過ぎる。立法府で法案に賛成した議員からこんな発言が出されること自体が、非常識だ。

 いずれにしても、今回の立憲民主党の対応は、理解不能だ。そもそも、私は、憲法審での憲法改正の議論を拒むこと自体が、立憲主義に反すると考える。確かに国会は憲法上国権の最高機関であるが、憲法改正に関しては国会に認められているのは発議権だけだ。承認をするのは、あくまで国民だ。まさにこれが、主権在民の本質なのだ。

 私も、自民党が提示している4項目の条文改正案は、参議院の合区解消にしても、単に9条に自衛隊を明記するだけの条文も、改悪案であって実現してはならないと思うが、それを最終的に決めるのは国民だ。国会では、その国民の判断材料になるような議論を尽くすことこそが、憲法上与えられている役割である。「国民は国会が発議してしまったら、よくわからないうちに賛成してしまう」という衆愚論に野党が立つのだとすれば、そんな野党は政党である資格はない。立憲主義も民主政も、自ら否定していることになるからだ。

 私は、中学生の時に政治を志した時から、根っからの改憲派だ。それは、今の日本国憲法が「押しつけ憲法」だからというようなことではない。明治以降、未だ日本は国民の議論と選択によって憲法を作り上げるという近代民主国が経てきているプロセスを体験していないことこそが、この国が真の民主政の国になっていない根源であると考えるからだ。

 残念ながら、日本には国民が日本の歴史に培われた良き価値を国民が与える権力の根拠として憲法に規定し、その価値によって権力を制御するという、完全な立憲主義、民主政の国になり切れていない。だから、さまざまな場面で権威主義や、「民は権力に従うべき」という中国共産党と同質の「誤った法治」が跳梁跋扈するのは、安倍政権などで起こったことを思い浮かべれば明らかだ。

 「立憲」という党名を冠するのであれば、憲法問題への対応で、その名にふさわしい対応をすることを期待する。憲法によって与えられた国会の権能を貶めるような、妙な国対政治を自らやってはいけないだろう。同志と思うからこそ、あえて意見を申し上げさせていただきたい。

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