○選挙が終わって、各紙はさまざまな分析記事を書いている。地元紙の茨城新聞は無所属のちっぽけな存在の私は眼中にないようだが、読売新聞と東京新聞は「野党共闘」を巡る記事を書いている。
今回の選挙戦中、相手陣営からは自主支援を表明した共産党との関係について、街頭やネット上で相当口汚い誹謗中傷が投げかけられた。私は、共産党と何らかの政策協定を結んでいるわけではなく、自主的に支援をいただいているだけなので、それによって私の政治理念や政策に何らかの影響を受けるものではない。
この間、共産党とはさまざまな意見交換をしてきた。私はこのような性格なので、一切自らの政治理念や政策を曲げることなく、自らの主張をしてきた。憲法やエネルギー政策などでは、折り合うことはなかった。共産党の支援者の中では、対極的な保守政治家の私を自主的に支援することには、相当な葛藤があったものと察する。
それでも、立憲主義を守ることや過度な新自由主義的経済からの転換、対米従属からの転換などでは、一致することもあった。とりわけ、この間の安倍政権以降の立憲主義の軽視は日本の民主政治にとって座視すべきものではなく、すぐにでも立憲政治を取り戻すための行動を起こさなければならない。そうした観点に立って、共産党は「大人の判断」(読売新聞)をしてくださったのだろう。敬意と謝意を表したい。
実際の選挙戦では、そんな私の訴えや姿勢をご覧いただき、まさに「党より人物」でご判断いただいたからこそ、民主党系野党のみならず、自民党・公明党から共産党まで幅広い政党支持者から、一定の支持をいただけたのだと思っている。
【事実上は共産も乗っかった野党共闘候補であるにもかかわらず、「反共」層を警戒させない戦術に、ある自民県議は「福島さんはうまくやった。受かればどう寝返っても良いわけだから」とやっかんだ】(東京新聞)
などと書かれているが、選挙戦術として何か権謀術数を使ったり、都合の悪いことを隠したり、票の足し算引き算をしたりしたつもりはない。
私は、今回街頭や演説会では、一切相手候補への批判や、政権与党への批判のための批判は行わず、夜の寒い中での1時間の屋外演説会ではひたすら平成以降の日本の停滞や転落への憂国の思いと、本来政治家が果たすべき役割の回復を訴えてきたつもりだ。アジアの二流国に転落する寸前にまでなって、「何党がどうの」という党派争いは無益であることを、私の演説を聞いていただいた多くの方にはご理解いただけたのではないだろうか。
多くの有権者は、政治家としての役割も十分に果たしていないくせに、政治家同士の党派争いを繰り広げる様に、白け、あきれ、そうした政治の転換を求めているのである。