福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

霞が関の限界

〇最近、官邸の機関紙から経産省の機関紙に一階級降格した感のある読売新聞の昨日の一面。ネット版では、【独自】と銘打っているので、スクープのつもりなのだろう。

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www.yomiuri.co.jp

 霞が関の常として、政策に行き詰まると打ち出されるのが新しい組織を設置すること。デジタル庁も、こども庁も同じ。問題は、法的効果のある個別法の意味ある規定をどれだけ作れるかであり、その法律を執行する部署の役割と権限を明確にし、関連する部署の相互との連携体制を作ること。おそらく今検討されている経済安保関連法案では、そのようなものがあまりないことが想像される。経産省が貿易審査の権限を新組織に移管するつもりなら拍手喝采をするが、そうではあるまい。

 もう一つの霞が関の限界を示す事例が、「日本版〇〇」という外国の政策をまねたものだが、今回はまだそれはない。おそらく、経済安保と銘打って自らの手を縛ったり、屋上屋を重ねる馬鹿らしい政策は、さすがに諸外国では行われていないのだろう。こういうことこそ、立法府の意志とリーダーシップが問われるのだが、それができないのが自民党政権。日本の停滞の真因だ。

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 一方、社会面には、やはり経済安保がらみで、「生物兵器に転用可」とされ逮捕された精密機械製造会社の社長が、自らの実証実験で無罪を証明した記事が。何気ない紙面構成だが、ここに本質が示されている。問題は、ある技術が軍事転用されるかどうかを技術的に判断する能力を果たして行政はもっているのかどうか、諸外国の軍事技術情報などをはたしてどれだけ把握できているのか、ということ。大学から文系・理系と分かれ、事務官・技官と採用が分かれる日本の官僚組織が、最も苦手とするところだ。

 問題の本質は、組織をどう作るかや、法律をどう改正するかではないところにあるのかもしれない。もう少し、深く掘り下げて調査してみたい。