福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

映画『水俣曼荼羅』

〇大晦日の今日、家でテレビを見ていても仕方ないので、上京して映画『水俣曼荼羅』の鑑賞に。なにせ、常識離れした6時間12分の超大作。3部に分かれている2部は既に観ていたので、今日は最後の第3部を。大晦日なのに、『ゆきゆきて神軍』で有名な原一男監督のトークショーがあった。

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 水俣病のドキュメンタリー映画というと、堅苦しいメッセージ性の強い映画のように思われるが、「曼荼羅」というタイトルが暗示しているように、描かれているのは水俣病の訴訟に関わる人たちの人間模様。加害者チッソに対する怒りだけでなく、不条理な困難を背負いながら恋をしたり、時には自分の利益のためにズルく振舞ったりする姿が描かれていて、それぞれの人の物語に没頭しているとあっという間に時間が過ぎてしまう。監督自身トークショーで「患者が正しいという観点から撮ったわけではない」と語っていた。

 裁判の過程では、当然政治家や行政は悪役として描かれざるを得ないのだが、それでも役人は人事の巡り合わせとして担当として就き、組織の決定に従い、法令に従って発言するしかない。紋切り型の冷たい言葉を語る表情をアップで写していると、その言葉の裏の人間としての感情もほのかに見えることが、かつて役人として反原発運動の人たちに吊るし上げられていた私の経験に照らしても、何かホッとするところがある。監督も、「裁判の後の原告と行政とのやり取りは好きじゃない」とおっしゃっていた。

 私が一番引っ掛かったのは、「語り部の会」会長の緒方さんが、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)に患者代表として会った感想を「ずっと遠くの時代の先祖と会ったというような、そんな感じもしましたね。私が人になる、そのきっかけをつくってくれた、緒方家の先祖に会ったような、そんな雰囲気までこう。ですから、私は水俣病のそういった苦しみ、悲しみの部分を少しでも取り除くための天皇皇后両陛下との面会であったならば、何も失うものは、私には、そこにはないと」語った場面。

 監督自身も、「緒方さんの口から「天皇」は自分の遠い祖先に繋がっている、と聞いたとき、私は青天の霹靂というか、思ってもいないことが飛び出した、と驚きました。何か違う、何か言い返さなきゃいけないって必死に頭の中で言葉を探しているんですけど、とうとう見つからなかった」と語っている。でも、それは反論する問題ではない。

 みんな水俣病の患者は、困難な宿命をもった自分自身の人生をどこかで肯定しなければ生きていけない、あるいは死んで行けない。そんな人間という存在自身の矛盾したもの、複雑なものが、カメラを通じて映し出されているのだ。一人一人の登場人物は、役者ではないのに、あたかも活劇のように表情や動きが観る者の心を強く揺さぶる。

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 実は、原監督は、森友問題の追及を行った私について、インタビューのカメラを回してもらっている。衆議院の選挙戦も取材していただいた。おそらくそのカメラは、森友問題ではなく、政治家の私でもなく、私の人間そのものを追っているのだろう。どう使われるのか、ちょっと怖い気持ちと、楽しみな気持ちがある。

 長文にお付き合いいただきありがとうございました。また、本年一年大変お世話になりました。それでは、皆さんよいお年を。