福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

「提案型野党」などという戯言

〇「『野党は批判ばかり』という批判」を気にしている野党政治家は多いようだが、野党が議会政治において与えられている役割は与党を批判することなのだから、当たり前だ。批判されるべきことは、これまで野党が行ってきた「批判」が本質的でない枝葉末節だったり、本気になって政権与党と取っ組み合いをする覚悟もない、「批判のための批判」だったからだ。

jisin.jp

 民進党時代、私は森友学園問題で追及の先陣を切ったが、それは朝日新聞が報道したからではない。報道の何ヶ月前から資料を手に入れ、関係者から聞き込みを行い、入念な準備をして、政権を倒す手段として、安倍首相に直接追及を行った。政権を倒さなければ、政党が掲げる政策は実現しない。私がどのような事前の準備をしてきたか勘づいていたからこそ、安倍首相は「私や妻が関わっていたら、総理も国会議員も辞める」と答弁し、公文書の改ざんや廃棄をおこなったのだ。なお、ここにある川内さんも、質問前に地道な調査を積み重ねる姿を、私は見てきた。

 しかし、当時の民進党の政権追及の多くは、そのようなものではなかった。当時の民進党国対では、どのくらいテレビや新聞で報道されたかで、その後の質問時間などが配分された。報道されるようにするための手段として簡単なのは、週刊誌などで報道されたスキャンダルを追及することだ。そうすれば、その日の報道ステーションやnews23、翌日の政権に批判的な新聞の紙面を飾ることになる。私のように、政権を直撃する可能性がある追及は、むしろ「永田ニセメール事件」の二の舞になると、止められていた。

 野党の追及は、通り一遍そうしたいつものメディアに報道されたら、それで終わり。目的が、政権を追い詰めることではなく、メディアに報道されることだから、政治家としての権力闘争の本気が国民には感じられず、カメラを意識したパフォーマンスが見え隠れして、鼻白んでしまうのだ。自らの政策を実現するために、体を張って本気で戦わない政党に、国民は惹かれることはない。

 自民党が野党時代は、些細なスキャンダルでも体を張った追及を行い、うんざりするほど頻繁に、危機管理対応をすべき時であっても、審議拒否を繰り返してきた。どんなに一時は批判されても、政権を取り戻して、自らの政策を実現させれば、国民に支持される自信があったからだ。これこそ、安倍政権の原点だ。

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https://twitter.com/nogutiya/status/1229597474785902592

 「提案型政党」などは、糞食らえだ。立派な提案をして誉められたいなら、官僚になるかシンクタンクにでも行けばいい。政権を獲る気概もなく、与党に提案しなければ物事を実現できない政治勢力は、即刻政治の現場から退場すべきだ。野党に必要なのは、提案ではなく、政権を獲ったときに実現する政策を磨くことと、その政策を実現するための権力闘争だ。むしろ、国会で提案などしてはいけない。自民党が野党時代は、ほとんど政策議論などはせず、泥臭く与党の足を引っ張ることに徹していた。

 昨日の立憲民主党の小川淳也議員の質疑は、迫力があって心に響くものあったが、参院選前のこの通常国会は残念ながらヒリヒリするような緊張感は、ない。私たちの会派「有志の会」は、少人数で短時間しか質疑時間は与えられないが、寸鉄人を刺す質問を準備してきたい。戦闘能力のある川内さんにも、ぜひまた国会に戻ってきて欲しい。