福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

6年前の参院選

〇このインタビュー記事を読んで、あることを思い出したので、ここに記す。

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【―6年前の参院選は、岡田さんが民進党代表でした。当時と今の状況はどういう違いがありますか

 当時、盛り上がりを欠いたことは間違いないね。選挙区はよく取ったなと思います。だけど比例票が少なかったかな、というのが当時の私の実感でした。最低でも1300万票、できればもっと欲しかった。僕は比例票の目標は当時言わなかったと思うけれど、1500万票を目指していた。なかなかそういうふうにはならなかったですが。

 ―6年前に比例票が伸びなかった理由は

 それが実力だったんでしょう。民主党が政権を失って以降の比例票を見ると、負けたとは思いません。ぐっと党として勢いを出せたかというと、そうはいかなかったということですが】

 6年前の参院選の時は、私は細野豪志政調会長の下の政調副会長。参院選前年の年末、参院選マニュフェストを作るために、地元にも帰らず国会近くの都内のホテルに何人かの政策通の議員と缶詰めになっていた。私は、経済政策のパートを担当。当時も民進党の支持率は地を這っていたが、それでもアベノミクスの限界や矛盾に問題意識のある著名な有識者たちと連日議論を行っていた。

 マニフェスト案として、法人税をいったん増税した上で新規事業や人材に投資する企業に大幅減税。東証1部に胡坐をかく伝統的企業に刺激を与えるための証券市場改革、高速道路一律定額料金化、鉄道や送配電門・ガス導管などのインフラ刷新などの政策体系をとりまとめた。

 当時の岡田代表に説明した時、私のつけた「くたばれ経団連(案)」というタイトルが刺激的すぎたのか、「こんな政策は要らない。経済政策は自民党と同じでいい」と気難しそうな顔をして言われて、お蔵入りとなった。私たちは、その瞬間民進党に未来はないと確信し、離党して新党を作ることを心に決めた。何のために、人生を賭けてこんな苦しい思いをして政治に挑戦しているのかと。これが、希望の党への道の起源だ。私たちにさまざまな提言をしてくれた著名な有識者の多くも、旧民主党勢への期待を捨てた。

 「当時、盛り上がりを欠いたことは間違いないね」などと嘯いているが、その原因は「経済政策は自民党と同じでいい」という当時の民進党にあったことが分からない人に、今後も国民の共感や支持は集まるまい。政治は結果責任だ。なぜなら政治の結果は、選挙を通じた国民の判断で表れるものだからだ。「つまらない責任論」と言い切れる政治家たちに、国民が政治の刷新を託すことはないだろう。

【―6年前に比例票が伸びなかった理由は

 それが実力だったんでしょう。民主党が政権を失って以降の比例票を見ると、負けたとは思いません。ぐっと党として勢いを出せたかというと、そうはいかなかったということですが】

 岡田氏たちが、四半世紀以上にわたって自民党に代わりうる政治勢力をつくろうとしていた努力には敬意を表し、多くを学ぼうとも思う。一方、この世代の人に代わる新しい世代が中心にならなくて、国民の期待や支持を得られることはないだろう。今問われていることは、それぞれの野党にいる私たちとその下の世代が、民主党政権を担った世代を乗り越えてどのような行動をするかだ。