〇今日の日本農業新聞に、正統派農政で私も信頼してきた荒川隆元農水省官房長による、コメの「公正な価格形成の場早く」との評論が掲載されていた。一方、数日前の共同通信配信の茨城新聞の記事には、「コメ価格3年ぶり上昇へ」との見出しが。
毎年この時期には、農協系統がコメを出荷した農家に一時的に支払う「概算金」が明らかとなり、それがその年の米価の指標となっている。茨城新聞の記事では、「外食需要が持ち直し」「コメの作付け転換が進んだ」ため概算金が上がったとしている。いかにも素人的な甘い分析だ。コロナ禍で減っていた外食需要が持ち直したとしてもそれ以前の水準には達していないし、作付け転換が進んだとしても供給過剰の状況は変わっていない。問題は、「生産資材の高騰で経営が厳しい農家の事情にも配慮し」概算金が上がるという、非合理的なコメの価格決定メカニズムそのものにある。
高校の政治経済レベルの知識では、価格は需要カーブと供給カーブが交わる点で「神の見えざる手」によって決定されるが、実際の経済は違う。情報の非対称性などにより供給者には一定の交渉力があって、「メーカー小売希望価格」の提示などによって寡占価格的に決定される。一方、農産物は貯蔵性が低く在庫すれば価値が著しく低下したり、毎年新たな生産物が生まれてくるため売り切らないと損失が大きくなったり、天候等により需要に応じた生産が困難であったりするため供給者側の力は著しく低く、「買い手独占」的に価格が決定されやすい。買い手が価格を決定する経済では、生産者は持続的な生産を行うことは困難で、結果的に農産物市場は混乱することになる。
だからこそ、私がかつて学んだ農業経済学では、農産物価格の決定には何ら中の政策的な関与が必要としている。それは、「生産資材の高騰で経営が厳しい農家の事情にも配慮し」て価格が上がるような非科学的な価格決定ではない。これが理由なら、今まで農家の利益を極大化すべき農協系統は、これまで農家の事情は厳しいと思わなかったからコメの値段を下げてきたということになってしまう。
問題の本質は、荒川氏も指摘しているように、政治力を背景として政府が価格を決めていた食管制度廃止後、「公正な」米価が形成される仕組みが不在なことにある。「市場に任せろ」という市場原理主義では、日本の農業が立ち行かなくなることはこれまでの経験で明らかだろう。これは日本に限ることなく、世界のどこで行われる農業でも同じだ。しかし、具体的にどのような仕組みがいいのかということになると、私にも今の段階で自信を持って言えるような政策は持ち合わせていない。
コメ政策というと、与党は「大規模化してコストを下げろ」「輸出しろ」と発破をかけ、野党は「戸別所得補償制度の復活を」と叫ぶばかりで、水田農業政策の本質からはズレていると感じる。私自身、専門家との対話もしながら、コメの価格決定の在り方についての政策を練り上げていきたいと思っている。既に私の地元では、大規模化したプロの農家が営農を継続できなくなり、広範な優良水田の耕作者がいなくなるという「水田農業の危機」が到来している。
ちなみに、日本農業新聞に寄稿している荒川氏は、誰が見ても事務次官となって農水省を率いるべき人物であったが、安倍政権の官邸主導の歪な人事によって道半ばで退官せざるを得なかった。