〇東日本大震災から12年目の日。改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りします。地震の3日後、被災地の様子を国会議員として最初に伝えよう、と上京した時につづったブログを読み返した。
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当時は与党の一期生議員。茨城県の国会議員の連絡会の事務局としてさまざまな陳情を受け付け、各省の大臣や役所と折衝をしてきた。陳情の列は連日廊下にまで伸び、自らの政治活動をする時間などはなかった。とにかく必死だったと記憶している。
一番の心残りは原子力災害。この数日後にブログにも書かれているが、無手勝流の菅内閣の対応は最悪で、JCO事故対応の経験がある私が政府の中でお役に立てればと思って総理宛てに手紙を書いて直訴したが、反応はなかった。
三たび国会に復帰させていただいた私は、自ら志願して東日本大震災復興特別委員会に所属し、来週の火曜日には質疑に立つ。あの時、与党の一員としてはたらいて感じた一生の悔いは、この先もずっと仕事をもって返していかなければならない。