福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

「金次郎と青木村文集」に寄稿

〇先日桜川市で開催された全国報徳サミットの開催に合わせて、クラウドファンディングで刊行された「金次郎と青木村文集」に寄稿をいたしました。竹蓋年男先生の素敵な切り絵の表紙です。

 私が寄せた原稿は、下記のとおりです。ぜひ、ご一読たまわれれば幸いです。

 

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<青木村仕法に所縁の地の政治家として>

 二宮尊徳による青木村仕法の本質は、桜川の上に茅葺の屋根を作らせて、それを川に落とすことで流れを堰き止めたエピソードに見られる斬新な土木技術や、村民を束ねて短期間で水利事業を完成させた尊徳のプロジェクトマネージメント能力にあるのではない。尊徳が、村民たちの意識と行動を変容させたことにある。

 青木村の荒廃が、長年にわたって博打に明け暮れ、怠惰にふけり、勤勉さを失った村民たちの生きる姿勢にあることを見抜いた尊徳は、簡単には青木村の再建を引き受けない。まずは生え放題の茅を対価と引き換えに刈らせる簡単なことから始めて、荒廃した田の開拓に村民が本気で取り組む姿を見て、ようやく青木村仕法に取り組むことを決める。村民たちは、工事のための岩石材木の採集・運搬などの仕事をし、そのたびに報酬が得られることを実感して、勤勉の価値を実感するようになる。

 どんな立派な堰や水路を作ったとしても、それを利用する村民たちの生き方が勤勉で篤実なものに変わらない限り、また再び村は荒廃する。尊徳は、それを道徳として上から語るのではなく、勤勉や篤実が実際に利益を生むことを実感させることで、身をもって村民にわからせたのだ。それを成し遂げることができたのは、代々村に住み、村民の敬意を受けていた名主の舘野勘右衛門が、村の再建に向けて至誠ともいうべき無私の思いをもって、村民の生き方そのものを変えるべく指導力を発揮したことによるものが大きい。尊徳の娘婿の富田高慶は、「蓮が泥中に在るようなもの」と勘右衛門を評している。

 さて、現代で言えば、この勘右衛門こそが私もその地位をお預かりしている「代議士」に相当するものであろう。昨今の政治を見ると、大臣室で陳情の写真を撮り「私が国の予算を持ってきました」などと自慢する政治家が多い。そもそもその財源は国民の税金であるし、御用聞きして予算が付けば地域が発展するという保証はない。国民の歓心を買おうと、根拠のない減税や一時しのぎの現金給付を選挙の目玉にするポピュリズム政治も、後を絶たない。結局、そのような政治は、国民の政治への依存心や怠惰な心を生むだけで、長い目で見れば国や地域の発展を阻害する。

 畢竟政治家=代議士とは、国民や地域に対する単なるサービス業ではなく、その土地の風土に根ざしてそこに生きる人々と対話を重ねることで、地域に生きる人の意識を変え人々の共同の力によって大きなものを生み出していく触媒となる存在のことであろう。政党の看板に頼らず2回連続無所属で国会に送っていただいた私は、21年間の政治活動を積み重ねる中で、少しずつ郷土に根を張り、人々の意識を変えることに多少は貢献してきた実感と自負を持っている。私が掲げている「党より人物」とのキャッチフレーズも、私がそのような「代議士」たるべき人物かどうか皆さんに見極めていただくために、自分のすべてをさらけ出す覚悟を示したものだ。残りの政治家人生は、地元の皆さんの共同の力を引き出して、地域の内発的・自立的な発展を促しうるような存在となりたい。

 現在、国会には超党派の石橋湛山研究会が立ち上がり、毎月例会を開いて熱心に勉強を積み重ね、私もその末席を汚している。岩屋毅外相が共同代表を務め、石破茂首相や村上誠一郎総務相、福田昭夫衆議院議員なども常連メンバーだ。「二宮尊徳の自由思想」などの著作がある石橋湛山は、尊徳の報徳思想に大きな影響を受けている。バブル経済崩壊後、国の進むべき道を見失い、30年間の停滞と二流国への転落寸前にまで我が国が落ちぶれた今、土に根差し、国民に阿らず、至誠を重んじる、篤実な政治を、超党派で報徳思想を学びながら目指したい。そうした中から、近い将来必ずや既存政党の枠組みを超えた政治刷新が実現することであろう。もちろん私も、青木村仕法に所縁の地の政治家として、その一員となって行動してまいりたい。