〇国会の合間を縫って、地元回り。

水戸市遺族会終戦80周年記念大会が開かれましたので、ご挨拶してまいりました。幼い時にペリリュー島でお父様を亡くした園部水戸市遺族会会長の話や、水戸市遺族会創成期の授産活動を生々しくお話しいただいた加藤茨城県遺族連合会理事長の言葉には、80年間のご遺族としての人生の重みがあり、とても若輩者の私が言葉を加えられるものではありませんでした。


ある地域を回っていると、その地域の神社がきちんと草刈りがなされて清冽な空気が流れていました。私は、初めて地域を回る時にはその地域の神社に車を止めてお参りするようにしています。最近はどこもお賽銭泥棒が出るため賽銭箱もなく、氏子会が解散してしまった神社は荒れてしまっているところも多くあります。逆に、神社がきちんと綺麗にされている地域は、「地域が生きている」ところであると、地域を見るバロメーターにしているのです。たまたま訪れた家が神社総代をやっていらっしゃって、村のお社を守る大切さを懇々とお話しくださり、意気投合いたしました。

今朝は、水戸市内のある交差点で挨拶をしていましたが、お向かいのポスターを掲示いただいている支援者の方が、小学生の登校を見守るために出ていらっしゃいました。誰に言われたからやっているわけではない、ボランティアです。地域社会は、こうした無償の奉仕で成り立っています。一人一人がちょっとだけ他人のために汗を流せば、その地域はよりみんなが安全で豊かな暮らしを手に入れることができるのです。

最近、地域の草がボウボウで、市役所に草刈りを頼んでくれという陳情がよくあります。市役所が業者に頼めば、それは結局税金で賄うこととなります。こうして行政に依存すればするほど、税金は上がり、自らの生活の首を絞めることとなります。やはり、みんなで支え合う社会が必要なのです。
かつて民主党時代に松井孝治さんたちが作った「新しい公共」という言葉が私は大好きで、今でも目指すべき社会の目標にしています。それは「官」と「民」だけでなく、その間にある分厚い公共がある社会を目指す理念です。そこにあるのは、自治の精神です。
わずかな時間ですが、地元に帰ってそこに「公共」があることを確認して、嬉しい気持ちになりました。私自身も、地域の「公共」のために貢献したいと思います。