〇元日本医師会長の原中勝征先生を偲ぶ会が、浅草ビューホテルで開催されました。弔辞に立ったのは、松崎茨城県医師会長、松本日本医師会長、鳩山元首相、橋本元茨城県知事。

7月11日に逝去され、地元での葬儀はすでに行われていましたが、ちょうど私の衆議院在職10周年のセミナーの日だったため私は参列できず、今日の「偲ぶ会」への参列となりました。
地元の葬儀で妻が私の弔辞を代読したので、それを引用してお別れの言葉といたします。原中先生、大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
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原中勝征先生のご逝去を悼み、謹んでお別れの言葉を申し述べます。
本来であれは、大恩のある私衆議院議員の福島のぶゆきがこの場で弔辞を申し述べるところですが、本日この時間に私の衆議院在職10年の感謝の集いを水戸で開催しております。妻が代読するご無礼をお許しいただければと存じます。
そもそも、私が衆議院在職10年を迎えることができたのも、ひとえに原中先生のおかげ様です。2008年自公政権が後期高齢者医療制度を導入すると、先生は「赤ちゃんであってもお年寄りであっても、みな同じ人間である。年齢で患者への医療に差を付けるのはおかしい」とおっしゃって、茨城県医師会長として廃止に向けた運動の先頭に立たれました。先生ご自身はそれまで私の選挙区でも熱心に自民党を応援し、医師会自体も自民党を支援する中核的な団体であったにもかかわらず、「政権を交代しなければ制度は変えられない」と野党を支援する思い切った決断をされました。この茨城県医師会の「医師の乱」と言われた行動が、全国的な政権交代の機運を盛り上げ、2009年の民主党政権への政権交代につながり、私も3度目の挑戦で初めて国会に送っていただいたのです。
その後先生は、2010年に本県から初めての日本医師会会長になられ、民主党政権との太いパイプを生かして、10年ぶりの診療報酬のプラス改定、東日本大震災での緊急対応などに奔走されました。地元でも、長年2次医療機関の不足によって急性期患者への対応が不十分だった筑西・下妻医療圏に、現在の茨城県西部メディカルセンターを建設するに際して、大きな力添えをいただきました。それまでの厚生行政では異例の国費の投入を行うように求めて、先生と細川厚生労働大臣に直談判しに行ったことを思い出します。
しかし、肝心の民主党政権は公約破りの消費税増税やTPPの推進、党内のゴタゴタなどで2012年の衆院選で大敗し、再び野に下ることとなりました。先生も、志半ばのわずか2年で日本医師会会長を退かれることになりました。先生は決して特定の政党を支援していたわけではなく、「今だけカネだけ自分だけ」というグローバリズムの風が吹き荒れる中、医師としてお金よりも何よりも「命を優先する」政治を実現させたいという純粋な思い一つで、政治と真剣に向き合ってこられたのだと思います。その先生の思いに応えられなかったことは、忸怩たる思いです。
私も落選をして再び浪人の身となりましたが、先生にはいつも気にかけていただき、時折大圃病院を訪れると親身になってご指導くださいました。安倍政権がTPP交渉参加を進めていた2013年4月には、先生と一緒に米国ワシントンDCに米国の議員や関係団体との意見交換に行ってまいりました。若い頃米国で学んだ先生は、「自分はアメリカで学びアメリカを愛しているが、アメリカのビジネスのために日本人の健康を引き渡すつもりはない」と堂々と発言され、私たち訪米団の様子は著名なワシントンポストの1面全面を飾る記事となりました。
今だから明かせることですが、その頃、私は、現在ある党の党首となっている政治家と原中先生に呼ばれ、鳩山由紀夫元首相、山田正彦元農相なども同席する中で、「若い君たち二人で新しい党を立ち上げて日本の政治を変えなさい」とハッパをかけられました。当時の私は次の衆院選で国会に戻ることで精一杯でしたので、ご期待に応えることはできませんでしたが、最近までずっと私の国会での活動を楽しみにご覧になっていただいていて、それが大きな励みになっていました。もう先生に国会での活動を報告できないと思うと、寂しくてなりません。
先生は、東日本大震災に伴う原子力災害で大きく傷ついた浪江町に生まれました。子どもの頃高名なお医者さんから「君の目は輝いている、きっといい医者になるぞ」と言われて医学の道を志した、と何度も何度も先生からお聞きしました。先生の目の輝きは、浪江の美しい海や野山とそこから得られる魚やキノコなどの恵み、美しい景観に育まれてきた農林水産業の営み、そこに生きる家族や地域社会の温かさが映し出されたものなのではないかと思います。先生が医師として大事にしていた生命倫理とは、こうしたすべての命の繫がりに対する愛情なのでしょう。
今、ウクライナやパレスチナなどで膨大な命が失われ、トランプ大統領の誕生で世界は自らの利益ばかりを追うディールをするようになり、日本国内でも「何とかファースト」という他者を排除するキャッチフレーズに満ち溢れ、日本の政治は堕落と混乱の極みにあります。そうした中で、まだまだ羅針盤として先生のご指導を仰ぎたかったのに、と無念の思いです。まさに、「巨星堕つ」。すべての命を守るために、グローバリズムの時代に抗い、時代を動かしかけ、後進の私たちが目指すべき社会への指針を遺された原中勝征先生。その生前の大きなご功績に心から敬意と感謝の念を表し、先生のご遺志を引き継いでいくことをここにお誓い申し上げ、弔辞といたします。心よりご冥福をお祈りいたします。
令和7年9月26日
衆議院議員 福島伸享