福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

今回のイスラエル・パレスチナ訪問について

○今回のイスラエル・パレスチナ訪問は、まだ私の胸の中に熱い鉄の塊が入っているような感覚が残っていて、まだすべてを言葉にできない。それでも、帰国後の新年会の挨拶で訪問の話をすると、私が見てきたことそのままの生々しい話をみんな食い入るように聞いてくれ、「そんなことが今世界で起きているのか」と質問攻めにあう。

 昨年末、熱心にパレスチナ問題に取り組んできた立憲民主党のある議員から一緒にこの訪問団で行かないかと誘われた時、地元の大事な新年会が立て込んでいる時期なので一度お断りした。しかし、立憲民主党議員は党から参加しないように言われたとのことで、代わりにぜひ行ってみてくれと言われ、この時点では参加する議員が少ないとのことだったので、年始の日程をキャンセルして参加することにした。1日はパレスチナ側を見て回りたかったので、一行を離れることもイスラエル大使館は了解(見て見ぬふり)をしてくれた。

 誤解のないように申し上げると、自民党の小野寺税制調査会長らの一行は自民党が党として派遣しているチームであり、超党派の私たちとは別行程。同時期にいることもあって、ヘルツォグ大統領、ネタニヤフ首相を表敬訪問(courtesy visit; 儀礼的な訪問)する機会を得ることができた。もちろんこの間イスラエルがガザ地区やヨルダン川西岸でやってきた行為は国際法上も許されうるものではないから、その正当化に利用されるのではないかという懸念も持ったが、政治家として一度会って話を聞きその人物像を知ることが今後の日本の中東外交を考えるに当たって必要であると考え、その貴重な機会を逃すべきでないと判断した。私たちは運動家ではなく、日本の外交政策の一端を担う政治家であるから、日本として今の中東情勢を収束させるために外交政策上何ができるのかというのを考えなければならない。どちらに賛成反対と言って好き嫌いを言うのではなく、まずそれぞれの当事者の言い分や現実を直接知ることが必要なのだ。

 結果として、一部の日本のネット世論で表れているような「イスラエルに利用される」ということは杞憂だったと考える。まず、イスラエルが日本の議員団の訪問を利用しようとするのであれば、イスラエルやイスラエルに駐在する海外報道機関にこの訪問を周知するが、海外報道機関はおろか在イスラエルの日本の報道機関にも一切通知も案内もなかった。米国やドイツの国会議員団が訪問した時には、日本の報道機関にも取材依頼があったのとは扱いが違う。そもそも、外交上私たちの一行はネタニヤフ首相と面談するのは釣り合っていない。日本を代表する政府でもないし、政権与党の大幹部でもない。イスラエルとしては、そのような者とも首相が会わざるをえないことを国際社会に示すことは、むしろイスラエルの孤立を示すことになるから、首相のツイッターでローキーで公表されたのみだった。イスラエルのメディアでも中東のメディアでも、報道はゼロだという。それはそうだ。イラン情勢をはじめ、中東では報道することは日々山のようにある。

 イスラエル外務省もそうした事情はよく分かっていて、「ネタニヤフ首相と一緒に写るのが不都合な方は、写らなくて結構ですよ」と事前に気を利かせてくれていた。他の議員はどういう思いだったかはわからないが、首相と写っている私の表情で私のメッセージを受け取っていただけると幸いだ。

 さらに、サール外相は私たちと面会した後、中国の翟隽中東特使とも会っていて、その様子をツイッターで報告している。先日の投稿でも書いたとおり、私が、パレスチナ寄りの姿勢を取っていて必ずしも関係が良くないと思われていた中国との関係を問うたところ、拍子抜けするほど友好的なことを発言していた。これが外交の実態だ。特定の支援者に配慮して、「ネタニヤフ首相と会いたくない」とか「一緒に写真を取られたらまずい」などというウブな政党は、永遠に政権を担って外交を行うことはできないだろう。

 むしろ、今回の訪問で大統領、首相、外相、国会議長、間近な総選挙で政権交代を狙う野党のリーダーなど国家の中枢を構成する人物に軒並み直接会って話をすることで、それぞれの人物の人間性や思想の違い、それらの違いにも関わらず共通している観念などを知ることができて、私の政治人生上この上ない貴重な経験となった。超党派議員団の一行は、それなりの知性と国際経験を有する議員ばかりだったこともあって、イスラエル側との議論は常に白熱した。イスラエル側の主張を黙って聞くような議員は、誰ひとりとしていなかった。イスラエル人は論争が好きで、自分の考えを強烈に主張してくるが、こちらも負けじと応じると、うーんと唸らされるような答えを返してきたりして、厭味のない刺激的な議論ができる。私は、相手の話す内容への納得は別にして、そのようなイスラエル人は結構好きだ。

 そして、そうした率直な議論の積み重ねを行ったからこそ、この先イスラエルとパレスチナが何らかの共存をできるのか、ということを考えると、絶望的な思いにも陥った。イスラエル人のすべてが狂信的なシオニストなのではない。西欧的なリベラルな考えを持っている人も多くいる。理知的に語るからこそ、逆にパレスチナやムスリムとのあまりにも大きな立場や感覚の違いに絶望的になるのだ。今回パレスチナ側にも訪問し、現地で今暮らしている人たちの生の声も聞いてきた。そこで起きている現実は、決して受け入れられるものではない。一刻も早く何とかしなければという思いがはやるが、では日本の外交として何ができるかということを考えると、その困難な道のりに頭が痛くなってくる。

 これらのことについては、次回書き連ねたい。