〇イスラエルとパレスチナを訪問して考えたことの一部を、以下に書き連ねる。

ホローコスト記念館で、イスラエル人から「なぜ私たちはホローコストに遭わなければならなかったのか?それは私たちはヨーロッパ各国に散り散りとなり、私たちの国がなかったからだ」と言われて、ハッとした。ユダヤ人にとってイスラエルの建国は、まさに民族(一般的な民族の定義とは異なるが)の悲願だったのだ。
第二次大戦後まもない1947年に国連のパレスチナ分割決議に基づいてイスラエルが建国されることになったものの、この地は長くトルコが治めるイスラム教徒が多く住む地であり、この地に関係する第二次世界大戦後独立したシリアもレバノンもこの国連決議には反対し、ヨルダンなどは国連に加盟もしていなかった。賛成した国の大部分は、国内にユダヤ人問題を抱える欧米諸国とその影響下にあった中南米であり、それも僅差だったため、中東諸国にとってはヨーロッパの問題を領土分割で押し付けられたという意識があることを認識しなければならない。

このような歴史の中で、2023年10月7日のテロを左右さまざまな立場のイスラエル人が「ジェノサイド」と言うのに、私は違和感を持った。もっとはるかに多くの子どもや女性を含む一般市民がガザ地区ではイスラエル軍によって殺害され、飢餓状況に置かれたからだ。しかし、聞いているうちにイスラエル人が「ジェノサイド」と言うのは、テロ事件のことだけを言っているのではないことに気付いた。一部の勢力が「from the river to the sea」(ヨルダン川から地中海まで)などというスローガンを掲げ、イスラエル自体の消滅を主張していることが、ナチスのホローコストを想起させてしまっているのだ。これは左派の政治家も同じ意識だった。
私は、欧米諸国主導による強引なイスラエルの建国をすべて認めるものではないが、80年近くが経ち、そこに約1,000万人の人口を抱える、それなりに成熟した民主政治の下で、科学技術や産業を発展させ、100%近い食料を自給し、強大な軍事力を持った国を無くすということは現実にはあり得ないと考える。しかし、10.7以降多くのイスラエル人はパレスチナ人との共存はできないと思ってしまっている。テロ被害に遭った多くのキブツ(農村共同体)は、これまでパレスチナ人との交流に努め、リベラルな思想を持つものが多かったから、余計にだ。

私は、「ガザであんなことをやったら恨みは何世代にもわたって残って、永遠に交わることはなくなってしまうではないか」と問うたが、これも左右さまざまな立場のイスラエル人から「教育でパレスチナ人の考えを変えるしかない」という答えを聞いた。それは、パレスチナ人がイスラム教の敬虔な信仰を変えることだったり、民族的な習慣を変えることにつながり、中国がウイグルでやっていることと同じだ。そこで、私はハタと気付いた。私たちがサール外相と面談した後、外相は中国の中東特使と会っていた。もしかしたら中国からノウハウを受けようとしているのではないか、と。
私は、「信仰や文化を背景とする民族の考え方を変えることなんてできないし、変えてはいけない」とも言ったが、「日本は米国に負けて、軍国主義から民主国家に代わって、反米国家から親米国家になったじゃないか」と反論されて、再反論したいことは山ほどあったが、悔しい思いを飲み込んだ。いずれにしても、ネタニヤフ首相のような指導層だけでなく、リベラルの思想を持つ政治家や多くの一般国民までが同じような考えを持っている限り、しばらくの間は選挙をやって政権交代が実現してもイスラエルのこの基本的な立場は変わらないだろう。

私は、パレスチナの国家承認を早急に行い、二国家解決の実現を目指す立場であるが、二国家の当事国の一つがこのような基本的な立場の限り、二国家解決はできないと考える。「相手の思想を変えなければ付き合えない」というような関係では、絶対に二国家は共存不可能だからだ。一部の運動家が言うような、イスラエルがなくなることも、現実にはあり得ない。むしろ、そのようなスローガンを叫んでいるうちに、私が見てきたように、イスラエルはパレスチナへの入植を暴力的に進め、パレスチナという国家の存在を有名無実化していくだろう。
だから、私は、絶望的な思いになるのだ。日本の政治家は、皮相的なガザの復興事業への協力ばかりを言うが、我が国の役割はそのようなところにあるのではないのではないか。現にイスラエルの指導者からは、「まだその段階ではない」と一蹴されていた。私たち日本の役割は、この絶望的な状況を、パレスチナ問題の歴史的な当事者ではない数少ない先進民主国として解決のあり方や糸口を提供することなのではないか。いくら二国家解決だけを主張しても、この間今現在起きているパレスチナへの暴力的な入植は止められない。緊急の止血措置を行うためには、イスラエルとパレスチナが今乗れる何らかのテーブルを作らなければならない。

こうした難しい問題を別にすれば、イスラエルは魅力的な国である。優秀で失敗を恐れない人材が生む技術やスタートアップ企業、100%近い食料自給率を実現している水の少ない地で技術と資金を集めた先進的農業とそれを担うキブツと言われる共同体、世界中の料理の影響を受けた美味しいご飯、知的で温かくフレンドリーな人たち。何よりも、台湾並みの世界有数の親日国である。私たち一行が市場を歩いていると、あちこちで「コンニチワ」などと声を掛けられて一緒に写真を撮ろうと誘われた。ガイドが「高くて不味い」というおにぎり屋には、イスラエル人が行列していた。往復の飛行機は9割5分イスラエル人の旅行客で満席。あちこちで「日本に行ってきた」「日本に行く予定だ」という話を聞いた。
一方、アザーンが流れるパレスチナの街も、私は大好きだ。両親はかつてシリアに住み、帰国後はシリア人留学生を長い間ホームステイさせるなど、アラブ社会には親しみを持っている。イスラム文化を大切にしてほしい。イスラエルとパレスチナの共存ができるかと問われると、今回のイスラエルの訪問を通じて絶望的な思いにもなったが、これからも偏見を持たず、さまざまな立場の人たちと分け隔てなく接し、この問題の大きさに対して私の力はあまりにも微力だが、次の世代での実現を信じて尽力してまいりたい。