〇高市首相の施政方針演説について、食料品消費税減税や憲法改正について野党やメディアの論評はあっても、経済政策自体についての論評はほとんどない。
高市首相は施政方針演説で、
【我が国の潜在成長率は、主要先進国と比べて低迷しています。しかし、技術革新力や労働の効率性などを表す数値は、他国と遜色ありません。日本人には底力があります。圧倒的に足りないのは、資本投入量、すなわち国内投資です】
と述べているが、この認識は正しい。
一方、それへの対応として「危機管理投資」を挙げ、
【暮らしの安全と安心を確保し、雇用と所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益が上がり、税率を上げずとも税収が自然増に向かう「強い経済」を構築します。この好循環を実現することで、日本経済のパイを大きくするとともに、物価上昇に負けない賃金上昇を実現します・・・そのための「責任ある積極財政」です】
として、一見もっとらしく聞こえる。
が、続いて
【世界を見渡せば、政府が一歩前に出て、官民が手を取り合って重要な社会課題の解決を目指す新たな産業政策が大きな潮流となり、各国政府は、大規模かつ長期的な財政支出を伴う産業政策を展開しています。世界が産業政策の大競争時代にある中、我が国として、経済成長を実現するために必要な財政出動をためらうべきではありません】
ときて、ガクッとしてしまう。
これまで「失われた30年」では、政府が成長分野を定めて官民が協調して投資をする産業政策を、「成長戦略」などと称して焼き直し焼き直し定めてきた。それは自民党政権でも民主党政権でも同じだった。こうした古典的なターゲティング・ポリシーは、日本の産業構造の転換には役に立たない官僚組織の自己満足にすぎないことを多くの官僚もわかってはいるはずだが、時の政権が手っ取り早くもっともらしい「戦略」を示すために、お化粧を変えて作られ続けてきた。
理論に自信のない官僚組織は、「世界を見渡せば・・・大きな潮流となり」と「ではの守(かみ)」になって他国の政策を理由に正当化しようとしているが、世界がやっているから日本もやってみたらうまくいくというものではない。そもそもの日本の「失われた30年」の最大の要因は、産業構造の転換ができなかったことであり、金融ビッグバン以降の護送船団型金融システムに代わる競争的な民間主導の資金供給システムを構築できなかったことにあると考える。古い産業構造のまま、民間主導の有効な金融システムなきまま、財政出動だけを行えば、より非効率な産業構造が温存され、ますます世界の競争から置いていかれるだけだろう。
施政方針演説では「官民連携による投資促進」として、
【量子、航空・宇宙、コンテンツ、創薬などの17の戦略分野については、大胆な投資促進、国際展開支援、人材育成、研究開発、産学連携、国際標準化、防衛調達を含む官公庁による調達、規制・制度改革といった、供給及び需要の両面にアプローチする多角的な観点からの総合支援策を講じます】
としている。一番重要なのは、「官民連携」ではなく「官民役割分担の明確化」だ。国際標準化や規制・制度改革は官の役割であるが、「失われた30年」では政治のリーダーシップのなさによって本質を外れたものばかりであった。そこに、「責任ある積極財政」のキャッチフレーズの下で市場原理を歪めるようなマネー面での「武士の商法」が入ってくれば、産業の競争力の強化につながらないばかりか、国民負担の増大と財政余力の喪失による国力の低下につながることであろう。「官民連携」に嬉々として応じる企業が、世界と戦えるわけがない。現在世界市場での敗北が見えつつある、半導体のラピダス社がその嚆矢だろう。
私は、もはや日本は世界を目指す「経済大国」路線ではなく、世界経済の第二線にいることを自覚しながら、得意分野やニッチであっても重要な分野を戦略的重点的に伸ばしていく、「身の丈に応じた経済政策」路線に転換すべきであると考えている。政治家としては、高市総理のように「日本人の底力」などと言うのがいいのかもしれないが、そうした夜郎自大な精神論を言った時に我が国が失敗をしてきたのは、歴史が示す通りだろう。「強い国」より「賢い国」を目指すべきなのだ。実は、そうした経済政策を転換するための勉強会を同世代の省庁を超えた官僚たちや若手官僚とやる準備をしていたが、しばらく叶わなくなってしまった。
一方浪人中、こうしたことを考え、研究する時間も得られるはずであろうから、折に触れたこうした場でも私なりの考えを長文となるが示してまいりたい。自民党に代わる勢力を目指す政党があるのであれば、ぜひこうしたことも真剣に考えていただきたい。