〇令和8年の天長節。町内で日の丸を掲げているのは2軒だけ。春一番に翻る日章旗に、心が晴れ晴れとします。

天皇陛下の記者会見の要旨を拝読して、とりわけ災害に見舞われた国民へのお見舞いのお言葉に心打たれました。まさに一君万民、おほみたからの日本の国柄を表しています。
【これまでの日本の歴史の中でも、大きな自然災害が続く困難な時期が幾度もありました。それらの折に、歴代の天皇は様々なことをなさっています。
疫病や天変地異等が続いた奈良時代の聖武天皇は、不安定な世を鎮めたいと強く願われ、大仏を建立されました。次の平安時代にあっては、嵯峨天皇が疫病の収束を願われて、 般若心経(はんにゃしんぎょう)を書写されたといいます。
鎌倉時代以降もその行いは受け継がれ、 後光厳(ごこうごん)天皇、後花園天皇、後奈良天皇、 正親町(おおぎまち) 天皇、そして江戸時代の光格天皇も同じような思いから般若心経の書写をされました。
私はこれら6方の天皇が書写された般若心経を京都の大覚寺で拝見し、国の平安と国民の安寧を強く願われた歴代天皇の思いに強く心を動かされました。
光格天皇はまた、未曽有の災害となった天明の 飢饉ききん の際に、飢饉に苦しむ民のために、米の放出を幕府に申し入れられたといいます。
上皇、上皇后両陛下には、雲仙・普賢岳の噴火災害に始まり、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震を始めとした大きな災害の折には、現地に足を運ばれ、被災者を見舞われました。
私も、このような歴代の天皇が歩んでこられた道に思いを致しながら、近年の自然災害が激甚化・頻発化する時代にあって、災害が起こらないことを常に願い、国民と苦楽を共にしながら、被災地の方々の声に耳を傾けつつ、国民に寄り添っていきたいと思っています。】


そんな一日、自分のルーツの一つである武田氏発祥の地になぜかお参りしたくなって、何かに導かれるようにお隣のひたちなか市武田に。清和天皇の6代下った子孫の新羅三郎源義光の三男義清が拠点としたのが武田郷。その地名の武田を名乗ったのが武田氏の起源。ちなみに、長男義業(よしなり)は佐竹郷を拠点として佐竹氏の起源となりました。私の血には武田氏の血が流れ、福島家の菩提寺の住職は佐竹氏。なにか地元と不思議な縁に繋がれているように思えるのです。

日本の国柄は、西欧の絶対王権やマルクスの言うアジア的専制とは異なり、天皇と国民が支配・被支配の関係にない、天皇を大本家とする血肉を分けた赤子(せきし)による一つの「イエ」であることにあると思います。だから、今上陛下は「災害が起こらないことを常に願い、国民と苦楽を共にしながら、被災地の方々の声に耳を傾けつつ、国民に寄り添っていきたい」とおっしゃっているのです。そしてその国柄は、排他的、閉鎖的、二項対立による分断的では決してないものと考えます。
イデオロギーによる分断は、一神教の影響を強く受ける西欧文明による悪しき習俗なのではないでしょうか。近年の日本の政治状況を見るにつけ、日本の国柄に合った政治体制とは何かということを考えざるを得ません。浪人期間中は、そうした本質的なことを考える時間でもあります。