〇本日の読売新聞、エルサレムからの弟の記事。

【民間の調査機関「民主主義研究所」が4日に公表した世論調査では、ユダヤ系の93%がイラン軍事作戦を「支持する」と答えた・・・また、作戦の指揮を巡っては、ユダヤ系の74%がネタニヤフ氏を「信用する」と答えた】
【一部にある反戦の訴えも、かき消されている。エルサレム中心街では5日夜、開戦以来初めて反戦デモが開かれた。左派の平和活動家が「戦争反対」を叫んでいたが、右派の通行人が「裏切り者め」とデモを妨害した】
【2023年のイスラム原理主義組織ハマスの越境攻撃への対応を巡り、ネタニヤフ氏の辞任を求める声が高まった時期もあった。だが、レバノンやイランに戦線拡大するにつれ、支持率や信頼度は回復。ネタニヤフ氏は10月までの実施が定められている総選挙を前倒しにして、権力の維持を図るとの指摘が出ている】
イスラエルは、政治活動の自由も言論の自由も保証されている民主国家だ。先のイスラエル訪問でも、「イスラエル人は政治論議が大好きで3人集まると政治談議が始まる」と聞いた。元来多様なイスラエルの民意は、2023年のハマスの越境攻撃後レバノンやイランに攻撃をすると、ユダヤ系は団結して、さまざまな疑惑の渦中にあるにもかかわらず、ネタニヤフ首相を支持する動きが強くなっている。
ロシアや中国を見て、専制政治が戦争を起こすと思われがちだが、イスラエルやアメリカを見て、今や民主政治が戦争に加担し、加速する時代になったということを私たちは認識しなければならない。かつてフランシス・フクヤマは『歴史の終焉』で、冷戦の終結によって民主主義・自由経済陣営が勝利したことをもって、戦争でものごとを解決するような時代は終わり平和と安定の時代が来るという趣旨のことを述べたが、あれから30数年経って、民主政治が戦争を望む時代になってしまったことは、悲劇としか言いようがない。しかし、歴史を少しでも学んだ者ならば、ヒトラーもムッソリーニも民主主義の手続きを経て生まれたことは、知っているはずだ。
そして、日本の昨今の国政選挙の結果を見ても、我が国でも民意が戦争を選択する可能性があるということを自覚しなければならない、と私は思う。私が昨日の投稿で、高市首相訪米に当たって「もっと大きな文明的、歴史的観点からの判断ができるのか」と書いたのも、そう言う意味を込めてのものだ。
三島由紀夫や西部邁の影響を受けた私は、元来民主主義そのものに懐疑的だ。私の根っこにあるその思想が、私の選挙の弱さの元凶であることも認識している。だからといって、民主政治に代わる理想の政治体制を具体的に描けているわけでもない。一方、西欧近代が生んだデモクラシーは、今まさに曲がり角に来ている。欧米各国は、こうしたデモクラシーの限界と取っ組み合いをして乗り越えようとする時代に入った。私にとってはとてつもなく大きなテーマであるが、民主主義の限界とそれを乗り越えるための政治のあり方について、残りの人生を賭けて模索していかなければならない。