
〇今日の読売新聞に出ていた世論調査。緊急事態条項について、緊急政令の賛成は56%で反対は33%、議員任期の延長の賛成派48で反対は39%。毎日新聞の同趣旨の調査では、「わからない」の回答が38%で最多、次に「緊急事態条項を設ける憲法改正は必要ない」の29%で、「内閣の権限強化のみ認めるべきだ」15%、「内閣の権限を強化するとともに、国会議員の任期延長を認めるべきだ」11%、「国会議員の任期延長のみ認めるべきだ」6%。
この結果は、日本人の民主政治や法治についての意識が表れていて興味深い。私は先週YouTubeの私のチャンネルで、私の緊急事態条項についての考えを述べているが、最近では一番見ていただける人が少なかった。
大規模災害や戦災、疫病の蔓延などの時には、必ず既存の法律では対応できない時が来る。私のこれまでの経験でも、東海村のJCO事故や東日本大震災、コロナ禍でそうだった。その時にどう対応すべきかの国家としての基本方針を決めるのが、憲法の緊急事態条項だ。法律というのは、「公共の福祉」のために個人の自由や権利を制限するために国会=立法府において定めるものである。いうまでもなく、その根拠は憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」にある。
たとえば、緊急事態への対処のために新たに税金を課してその財源に充てることなどは、国民の財産権の自由を制限することであるから本来は法律(予算)によって定めなければならない。たとえば、緊急時に社会の混乱を抑えるために、個人の移動を制限する(自由の制限)などを行うためには本来は法律によって定めなければならない。当然法律を作るのは、立法府たる国会だ。
それを緊急事態だからといって、緊急政令でやれるようにしたり、内閣の権限を強化して政府が行えるようにするということは、政府=官僚組織であるから、国民が自ら選んでいない官僚に委任することになる。私は、官僚組織の出身として、こうした時に官僚組織に国民の権利を制限するようなことを委任してしまえばロクなことにならないことは歴史が示していると考える。よって、ギリギリまで民意が反映されうる国会議員の任期延長の規定を憲法に盛り込むことこそが、緊急時においても民主的統制を取りうる道だと考えている。
実際に3.11東日本大震災では私の地元水戸市では4月に市長選・市議選を控えていたが、投票所になる学校の体育館などには避難者が溢れていた、とても選挙ができるような状況ではなかった。水戸市は、選挙をやるより復旧のための予算措置などのさまざまなことを市議会で決定しなければならないが、選挙をやっていたら1ヶ月近く空白の時間が生じてしまう。当時の加藤水戸市長や袴塚水戸市議会議長の要請を受けて、私が中心となって片山総務大臣や逢坂総務政務官に掛け合って、選挙を数ヶ月先送りする特別立法を行った。
緊急事態条項の要点は、緊急時に本来自由であるべき国民を縛る主体を、自らが選んだ国会議員に委ねるのか、選挙で選んでいない官僚組織に委ねるのか、ということである。読売新聞の回答から見るに、多くの国民は自ら選んだ国会議員より、公務員試験に合格しただけの官僚の方が、国民の自由を縛ったり財産を差し出したりする判断に信頼ができると思っているのだろう。毎日新聞の回答から見るに、そもそも法律とは何か、「主権者」とは何かという民主政治の基本を日本国民は身をもって理解していないのかもしれない。
日本は、明治維新以降デモクラシーを西欧諸国から外発的に輸入し、第二次世界大戦に敗戦していつのまにか国民主権を定めた日本国憲法を受け容れていた。国民が自ら戦って権利を獲得した歴史もなければ、革命を起こして権力関係をひっくり返したこともない(それがいいと言っているのではない)。私が一番大事にする価値は自由だ。自分が自由であるために、国家の関与を受けないように自分を自ら律して、不文律の自治的共同体の規律に従わなければならないと考えている。長い人類の歴史において、個人に自由が認められている時代はここ数十年のごくわずかな期間である。
緊急事態条項に関する憲法論議は、国民が「自由からの逃走」を望むのか、自ら律する自治ゆえの自由を得るのかの分かれ道であると私は考える。言い換えれば、「民主政治とは何か」国民自身が考える機会であると考える。これから国会の衆参両院の憲法審査会で、観念論ではない政局論でもない民主政の本質を巡る本質的な議論を行い、国民投票に付した上で、私たち国民一人一人がこのようなことを自らに問いかけて判断することを期待したい。