〇トヨタ自動車元社長の奥田碩氏が逝去された。私が最初に奥田氏の謦咳に接したのは、私がまだ20代で資源エネルギー庁公益事業部で電力・ガスの自由化に取り組んでいた頃。自由化の旗振り役として審議会の委員を務めていただいていた、トヨタ自動車の役員の方と食事をした時だった。
若手官僚と意見交換をしたいとのことだったようだが、「トヨタ自動車の将来は、自動車メーカーじゃなくて総合エネルギー利用サービス産業だ」とおっしゃるのを聞いて、度肝を抜かれた。当時はまだ20世紀。電気自動車の実用化はまだまだ先に思われていたが、自動車自体はコモディティ化して価値を失い、石油・ガス・再生可能エネルギーなどの一次エネルギーを、IT技術を活用しながら移動・住宅・動力・熱などとしていかに効率的に利用していくのか、その総合的なサービス産業の価値を見抜いていた。権威ぶっている割には、業界の狭小な視野でしかエネルギー市場を見られない電力会社やガス会社の経営者とは、まったくスケールが違っていた。
21世紀に入って小泉政権が誕生。お隣の中国が反日的な江沢民から改革派と目されていた胡錦涛へと権力移行が予定される中、福田康夫官房長官の下で対中外交を考える私的勉強会が作られ、奥田さんがその座長に就任した。私は、当時経済産業省の大臣官房の特命チームにいて、その事務局の一端を担うこととなった。若い頃左遷されて赴任したフィリピンで活躍した奥田氏は、アジア情勢についての造詣が深かった。当時まだアジアでは頭抜けた経済大国だった日本が、中国を生産拠点にするだけではなく、アニメやゲームなどのソフトウェアを積極的に輸出して、経済成長した中国人に資本主義の(堕落した)楽しさを味あわせ、民主化を促すというレポートに、奥田氏は大きな賛意を示してくれた。実際は、そのような道は辿らなかったが。
柔軟な頭脳を持ち、目下の無名の者からも真摯に話を聞く奥田氏は、日本政府がTPP交渉を行っている時衆議院議員になってこれに反対して暴れていた私に、「なぜTPPに反対なのか教えてくれ」と言ってきた。山田正彦元農相と共に3人で食事をしながらじっくりと話をした。奥田氏自身「自分も自動車業界にとって大したメリットがあるようには思えない」とおっしゃるので、米国を中心とした自由貿易協定はアジアに分断をもたらすだけで、「中国封じ込め」のような枠組みに多くのASEAN諸国は戸惑っている、日本が中心となってアジアでの自由貿易圏を作るべきだなどと私は説明した。奥田さんは「よくわかった。自分もTPPは推進しない」とおっしゃって、実際にTPP交渉が妥結した後のトヨタ自動車のコメントは極めて素っ気ないものだった。
奥田氏の後のトヨタ自動車の経営を見ていると、奥田氏ほどの先見性とスケールを感じることができない。あれから日本の国力自体も、大きく低下した。20代から40代の頃に奥田氏のスケールの大きな話を伺う機会を持てたのは私にとっての大きな財産だが、これを懐かしむのは過去の栄光を振り返るようなことなのでやりたくはない。私たちの世代がいかに奥田氏を乗り越えて、大きな絵を描いて行動できるのか問われるのだろうが、忸怩たる思いである。
小泉政権で、構造改革特区の医療分野の規制改革でいろいろな関りがあった坂口力元厚生労働相も逝去された。今だから語れる、いや語らない方がいいかもしれないエピソードもあるのだが、それはまた別の機会にしたい。ご冥福をお祈りいたします。