福島のぶゆきアーカイブ

前衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

敗戦の日

〇敗戦の日。例年なら朝早く車を運転して靖国神社に参拝し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花して、地元に戻って護国神社に参拝し、今住んでいる水戸市千波地区の慰霊碑に手を合わせるのですが、今年は動けないために一日中在宅。政府の全国戦没者追悼式を中継するテレビの前で、黙祷いたしました。戦地で、空襲で、シベリアで捕虜としてなど戦争で犠牲となったすべての方々に、哀悼の誠をささげます。

 8月15日に家にいるのはいつ振りなのか思い出せません。テレビで追悼番組や戦争関連番組がやっているのではないかと新聞の番組案内を見てみたものの、そのようなものはほとんどなし。20年前くらいは、NHKも民放も朝からその手の番組が目白押しだったように記憶しております。やはり戦争は忘却のかなたに去ろうとしているのでしょうか。

 私は高校生の頃から40年以上この日に靖国神社に参拝していますが、当時は戦争未亡人と思しき老婦人が息子に手を引かれて参拝していたり、生き残った戦友会の方々が杖を突きながら静かに参拝していたり、私のような身近に戦没者がいない者にとっては、「申し訳ございません。お邪魔します」と遠慮しながらお参りしなければならない雰囲気がありました。その空気が変わったのは、2001年8月13日に小泉純一郎首相が和装のコスプレで参拝してから。それ以降拝殿前には行列ができるようになり、なにものかの見本市のような戦時中のコスプレをした軍団が現れるようになりました。今回のこの靖国神社の判断を歓迎いたします。

 高市首相が、全国戦没者追悼式が行われた武道館の駐車場で、すぐ道を隔てた向かいにある靖国神社に向けて遥拝したということが報道されているのが、靖国神社参拝の政治家的意義を如実に表しています。私にとっては一種のギャグにしか見えませんが。しかしそれ以上に注目すべきは、高市首相が全国戦没者追悼式で、それまでの戦争の惨禍を「繰り返さない」という定型的な言葉を「繰り返さ【】ない」としたことです。さすが高市首相は連日連夜眠らないで文章を読み込んでいるだけに、一文字の違いで意味が全く変わってしまうことをよくご存じです。

 私は、この敗戦の日の前に起きている最近のさまざまな出来事は、一つ間違えば有事となりかねないことの前触れであると考えています。すでにロシアとウクライナの戦争は4年を超え、イスラエルのガザ地区への攻撃に始まってアメリカとイスラエルによるイランへの攻撃など、すでに第二次世界大戦後冷戦期間中も含めて初めてとも言うべき、世界的な戦争になりうる火種がくすぶっています。

 日本の安全保障環境も、その影響を当然受けます。8月13日のロシアのプーチン大統領による北方領土択捉島訪問も、7月19日の沖ノ鳥島周辺でのロシアと中国の合同軍事演習での実弾射撃も、8月12日の北朝鮮による日本海への弾道ミサイルの発射も、すべては連動しています。今、米国は中東での対応で「弾切れ」の状態にありますから、当然ロシアや中国はそれを見越して、膠着するウクライナ戦線の打開や悲願の台湾統一に向けた歴史的機会が到来したと考えて、何らかの行動を起こしてもおかしくない状況だと思います。

 戦争は、どちらに正当性があるのかという思想戦でもあります。日本は第二次世界大戦の敗戦国である、というのは覆しようのない事実です。当然、相手はそこを突いてくるでしょう。こうした思想戦でも、アメリカはあてになりません。このような時こそ、政治家の真の判断力が求められるのです。コスプレや靖国遥拝や、いつも通りの言葉だけの「遺憾砲」を発している場合ではありません。そんなことは、すべて相手に見透かされています。頼りになるのは、失敗の歴史に真摯に向き合って、そこから得た教訓を冷静に受け止め、賢い具体的な行動を準備すること。やはり政治家にとっては、戦争の災禍を「繰り返さない」ことが重要なのです。政治家は、繰り返さ【】ない」という他律的思考はすべきではありません。たとえ他国によって戦争に巻き込まれることがあるとしても。

 私は、今の時点で国政で何かに関わる立場にはありませんが、これまで空襲被害者の救済や戦没者の遺骨収集をライフワークとして取り組んでまいりました。今年の10月にもペリリュー島に行ってくる予定です。政治家の一つの判断の誤りがとてつもない結果を引き起こさないように、一国民として見守るだけです。与野党の現職の皆さんには、これからは今まで自分たちが生きてきた戦後のぬるま湯の時代とは違うということを胸に刻んでいただけたらと思います。

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