福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

アゴタ・クリストフの『悪童日記』(原題:Le Grand Cahier、堀茂樹訳)

〇最近はまっている本がある。アゴタ・クリストフの『悪童日記』(原題:Le Grand Cahier、堀茂樹訳)と、それに続く三部作。あるジャーナリストに薦められて、読んだ。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んで以来の、興奮を覚えた。 

 ハンガリーの双子の兄弟が、ナチスドイツとソ連の戦争時にブダペストから祖母の田舎に疎開する話が、日記形式で綴られる。はじめはロシアのウクライナへの侵略とパラレルのことかと思って読み始めたが、もっともっと深い話だった。そこに綴られている小さな物語は、戦争になって表れる人間の本性そのものだ。

 それは人間の残酷性とか狂暴性などというものではない。毎日ものを食べ、はたらいて、寝て、ただ単に生きていくという普通の行為を続けることから生じる、人間の滑稽さすら感じる「どうしようもなさ」だ。それは当然、私の中にもある。見たくもないものに気付かされる。

 戦争なんてものは、所詮そうした人間の「どうしようもなさ」が積み重なって、肥大化して起こるものなのかもしれない。でも、人間の「どうしようもなさ」の中に、キラリと光るものも描かれる。それは、知性と文化だ。知性があるからこそ、人間の「どうしようもなさ」を客観的に見つめ、精神の平衡を保つことができるのだ。

 以下に「乞食の練習」と題する一節の一部を引用するので、その味わいを感じて欲しい。

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 ぼくらは待ち続ける。
 婦人が通りかかる。僕らは手を差し出す。彼女が言う。
「かわいそうにね・・・・・・。私には、あげられるものが何ひとつないのよ」
 彼女は、ぼくらの髪をやさしく撫でてくれる。
 ぼくらは言う。
「ありがとう」
 別の婦人が林檎を二個、もう一人がビスケットをくれる。
 また別の婦人が通りかかる。ぼくらは手を差し出す。彼女は立ち 止まり、言う。
「乞食なんかして、恥ずかしくないの?私の家にいらっしゃい。あなたたち向きの、ちゃんとした仕事があるから。たとえば薪を割るとか、テラスを磨くとかね。あなたたちくらい大きくて強ければ充分できるわよ。ちゃんと働いてくれたらば、お仕事が終わってから、私がスープとパンをあげます」
 ぼくらは答える。
「ぼくら、奥さんの用を足すために働く気はありません。あなたのスープも、パンも、食べたくないです。腹は減ってませんから」
 彼女が訊ねる。
「だったらどうして、乞食なんかしているの」
「乞食をするとどんな気がするかを知るためと、人々の反応を観察するためなんです」
 婦人はカンカンに怒って、行ってしまう。
「ろくでもない不良の子たちだわ! おまけに、生意気なこと!」
 帰路、ぼくらは道端に生い茂る草むらの中に、リンゴとビスケットとチョコレートと硬貨を投げ捨てる。
 髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない。