福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

中島岳志著『血盟団事件』

 昭和初期、郷土大洗の護国堂の井上日召の下に集まった青年たちが起こした行動と思想を、中島岳志氏が『血盟団事件』として上梓した。読んだら気持ちが揺さぶられるだろうなと予感して手にしてみたが、やはり体の奥底が揺さぶられるような思いが沸き起こってきた。郷土の青年たちが起こした事件は、戦後は忌避すべきものとして忘れ去られようとしてきた面があるが、80年前とあまりにも似た世相、政治の状況にあって、もう一度しっかりと振り返ってみることが必要なのではないか。とりわけ、茨城県民の私にとって、毎日地元を歩いたり、仲間と酒を酌み交わす中で、それは「歴史」としてではなく、「現実の話」として身につまされる思いとなる。
 ひたちなか市前浜出身の黒澤大二は「日本の政治家、特権階級は帝国の使命を忘れて毛唐の前に屈服したと云ふ新聞の記事を読んだ時、尊王攘夷者の血を受けた拙者等にはじつとして居る事が出来なかつたのです」と裁判で語っている。
 ひたちなか市平磯出身の小沼正は、ワカメの行商をやりながら荒廃した農村と都市の労働者の実情を見て「このままだと、日本は内部から崩壊しそうだ。おれはもう、こうしているときじゃない・・・利己主義の経済組織の下に於て、日本は単なる弥縫策では助からぬ・・・日本の国は出直さなければいかぬ」と考え、金解禁を行い、円高・デフレ政策を進めた井上準之助を暗殺した。
 井上日召に心酔した東京帝国大学学生の久木田祐弘も「政権を得るには多数を制しなければならぬ、多数を制するのには金が要る、金は結局、財閥から貰はなくちゃ済まぬ、金を貰う為にそれの都合を図らなければならぬ、・・・それで選挙は政権を取りさへすればよいのであつて、どんなことでも行われる、・・・兎に角、自分が当選しさへすればよい、それ等の政治家は当選して後は知らぬ、実際の民衆の生活を考へるか、それは何の考へる所もない」として、当時の二大政党には何も期待できないことを吐露している。
 著者の中島岳志は「血盟団事件とは一体、何だったのか?」として以下のように述べている。

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 事件の背景には、経済的不況による庶民の生活苦があった。大洗の青年たちは、農村社会の疲弊に直面し、苛立ちを募らせた。仕事を求めて東京に出ると、そこでも下町の苦境 に直面した。
 一方で、巷ではエロ・グロがブームとなり、繁華街ではカフェ遊びが流行していた。そこでは地方から売られてきた女性たちが、小金を持った男たちの欲望の対象となっていた。格差社会は拡大し、弱き者は困窮から抜け出せなかった。
 しかし、政治は無策だった。既成政党は互いに足を引っ張る合うばかりで、有効な政策を打ち出せなかった。さらに汚職事件が次々に発覚し、政治不信は頂点に達した。
 一部の特権階級は、相変わらず優雅な生活を送っていた。財閥は資本を独占し、庶民との格差は広がりつづけた。人々は既得権益に対する不満を高め、救世主を待望するようになった。
 暗い世相と時代の閉塞感の中で、若者たちは煩悶を肥大化させていた。・・・屈辱、憎しみ、不安、不満、挫折、失望・・・・・・・。
 この苦悩は、社会から強いられたものとして経験された。怒りの矛先は、政党政治家や財閥といった「君側の奸」へと向けられた。
 国体の論理に基づけば、日本は「一君万民」を体現する国家である。超越的な天皇のもと、すべての民は一般化され、平等な幸福の享受が約束される。天皇の大御心に抱かれ、万民は神のままに生きる。すべてはつながり、苦しみから解放される。
 しかし、世の中はそのようにはなっていない。なぜか。
 それは、「君側の奸」が大御心を阻害しているからである。天皇と国民のあいだに障壁を作り、平等な幸福を邪魔しているからである。だから、「君側の奸」を除去しなければならない。
 ・・・ここに宗教的自己犠牲によるテロの実行という構想が生み出される。

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 長い引用となったが、著者は「血盟団事件を追いかけながら、どうしても現在社会のことを思わざるを得なかった。格差社会が拡大し、人々が承認不安に苛まされる中、政治不信が拡大し、救世主待望論が浸透する現実は、一九二〇年代以降の日本とあまりにも状況が似ている。既成政党に対する不信が「第三勢力」への期待へとつながり、「決められる政治」や「グレートリセット」を叫ぶ政治家に人気が集まる状況は、この国の過去と重なり合う」と述べている。私も全く同感である。著者は、血盟団のメンバーの行動の純粋さや、思想のリベラルさに公平な評価を下している。合わせて今の日本政治において、「保守」を名乗る勢力が新自由主義的な競争万能社会を唱えていることに対抗して、共同体的な価値観を重んじる「リベラル保守」という概念も掲げている。
 「保守」を旗印にする安倍総理が、兎に角目先の経済的利益さえ得られればよいとして、日本の共同体的価値観を非効率的なものとして排除し、「TPP」、「アベノミクス第三の矢」などの怪しげな経済政策を進めていく中、何を理念に掲げ、どのように同志を糾合し、どのように行動していくのか、政治に携わる者が考えなければ、また一人の人間が身を挺しなければならない時代が近いうちにやってくることになろう。

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