〇東日本大震災復興特別委員会の委員として、宮城県・福島県の被災地に1泊2日で視察に行ってまいりました。本来このような視察は委員会の理事に限定されるのですが、長島昭久委員長や与野党の理事の皆さんが少数会派にもご配慮下さり、同行することができました。
12年前の3.11の大震災に地元で遭遇し、当時1期目ながら与党の議員として茨城県選出の超党派の対策会議の事務局を仰せつかり、それこそ休む暇もなく走り回っていました。議員会館には茨城県だけでなく栃木県や千葉県など隣県まで自治体の関係者や業界関係者がいらして、廊下にまで列ができていました。
お蔭で「地元に帰ってこない」とお叱りを受け、翌年の衆院選では落選の憂き目にも会いましたが、今回の視察で私も創設に関わった中小企業グループ補助金について「これがあってはじめて日本人でよかった思った」という福島県の旅館関係者の声を聞いて、何か報われたような気がしました。
それでも、被災地は物理的な復旧は進んだものの、人口減少は大きく復興までの道のりは遠いものがあります。今回は、宮城県気仙沼市長・蔵王町長、福島県浪江町長・大熊町長・双葉副町長などから、それぞれの自治体が抱える問題についてお伺いいたしました。
そして、被災地から新しいものを生み出そうと必死で頑張っている方々も多くいらっしゃいます。無人航空機を使った災害情報収集を目指すベンチャー企業のテラ・ラボ社、津波ですべての生産施設が流され風評被害で漁業が壊滅的な打撃を受ける中で、新たに獲れるようになったトラフグのブランド化を図るなど水産業の復興に取り組む柴栄水産など、復興に賭ける社長のお話は胸が熱くなるものがありました。
今年の再稼働を目指す女川原発にも。福島第一原発と比べてなぜより震源地に近い女川原発は無事だったのか、それが決して偶然ではなく今の所長さんが入社する前からの先人たちの知恵と努力の賜物であったことを具体的に説明いただき、大いに納得しました。そして旺盛な士気の下、再稼働に向けて活気ある現場を拝見して、頼もしく思いました。
浜通りは、かつて原発の立地のために何度も訪れた地。子どもの頃は鮭を食べに行ったり、なじみのある地でもあります。原子力災害対策特別措置法の制定に携わりながらあのようなことになり、私は生ある限りライフワークとして関わってまいる決意です。