福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

横粂氏の離党など

 小泉Jrの対抗馬でもある同期の横粂議員が離党届を提出した。菅政権の震災対応への不満とのことであるが、政治家の行動は自己責任であり、私はあえて論評しない。この2ヵ月半の間、被災地である地元の状況を国会の委員会や各種会合で伝え、いくつもの提言や要望を行ってきた。確かにこの政権は、政治主導といいながら、政権中枢のパフォーマンスは派手に行われども、実質的で具体的な政策実行は遅々として進まず、大きな問題を抱えていることは事実だ。正直言って私自身、もううんざりしているし、まだかすかな期待をしていただいている地元の皆さまには申し訳ない。しかし、政党人である以上は、そして与党の議員である限りは、この政権運営を正常なものにすることも含めて、責任を持ってできる限りのことをしていかなくてはならない。

 私はJCO事故の時に科学技術庁に出向し、当時の中曽根科学技術庁長官の下、如何に当時の政権与党がだらしのない対応だったのかを身をもって体験したことが、政治を志し、かつ自民党以外から出馬するきっかけとなった。「民主党にも自民党にも期待できない」という声が多数の中で、しかし政党政治でなければ国会でものごとは決まらないという冷厳な事実を前に、パフォーマンスで無党派を名乗ったり、軽率な行動をすることは、政党政治を否定することになり無責任なことであろう。国会は会期末をにらんで内閣不信任案の提出で緊迫した情勢になる。軽率な行動はするつもりはないが、今の閉塞感を打破しなければならないという思いも強い。日本の歴史を穢さぬためにも、どのように行動するのがいいのか、しばし悩んでみたいと思う。

 一昨日憲政記念会館で「新しい東北の誕生に向けての集い」と銘打った小沢元代表渡部恒三先生の誕生会が開かれた。私の地元から、雨引山麓のお米、下妻の豚肉、テトラ型のパットラスで売り出している水戸菜園のベビーリーフなどを提供させていただいたので、160人を超える議員に混じって参加させていただいた。前原前外相や山岡元国対委員長など、これまでマスコミで小沢派、反小沢派などとレッテルを貼られてきた先輩方が一同に会する不思議な会であった。渡部先生からは「互いに目を合わせなかった期間が3年あった。もうケンカすることはないだろうから、私にもしものことがあったら、友人総代の弔辞は小沢先生にお願いしたい」と会場を沸かせ、小沢先生も「最初はかなり仲良くやっていたが、ここ数年間、彼は彼流に私の悪態をついて、私は私流に『シカト』していた。これからはちょくちょく話し合いたい」と応じた。1年生議員としては、「これが、一寸先は闇という政治なのか」と大変勉強になった。この会の間は、2009年の総選挙前の政権交代前夜の民主党ような雰囲気が漂い、原点を思い起こさせた。

 政治の世界だから、いろいろな思惑があるのであろう。政治という特殊な世界の出来事と批判するのは簡単だ。でも、今こそこれまでの恩讐を超えて新しい政治の枠組みを作ることに、あらゆる国会議員は尽力しなければならないのではないか。