福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

鬼怒砂丘慰霊塔(常総市)

〇地域周りをしている途中、支援者の方に常総市にある鬼怒砂丘慰霊塔に連れて行ってもらいました。インパール作戦から生き残って帰ってきた、稲葉燃料の故稲葉茂氏が建立したもの。ミャンマー風の金色のパゴダは6年前の水害で流されてしまいましたが、今なお立派な慰霊塔が建っています。

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 稲葉氏の『亡き戦友に捧ぐるの辞』には、

「私は死すべき命、永らえて生き残り、終戦の翌年荒廃した祖国へ帰り着くことができました。当時の祖国は、初めての敗戦の経験からすべてが混乱し、困難を極め、とにかく、その目標を失い勝ちでありましたが、そのたびごとに皆様方と共に闘った、あの凄愴苛烈ビルマの戦場を思い出し自らを励まし鞭打って祖国再建の道を歩んでまいりました」

「このパゴダの建立により私の気持ちの整理ができ、昔と同じように皆様と一緒に暮らすことをできますことを思うと深い安堵と喜びを感じる次第でございます」

などと書かれています。80になろうとする私の支援者が、どういう思いで私をここに連れてきてくれたのか、語らずともわかりました。

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 平成7年に私は、外国人観光客を受け入れて間もない軍政下のミャンマーを、ミャンマーの少数民族の王族と結婚した母の旧友を頼りにして訪れ、1ヶ月近く4WDに乗って、きれいなブリティッシュ・イングリッシュを話すウー・ヤンペーさんをお供に放浪しました。村々のお寺には、日本兵の遺骨が集められ丁寧に保管されていました。多くの村では、戦後初めて訪れた日本人が私だったので、「早く祖国に連れて帰ってあげてください」とお坊さんから言われました。

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 慰霊塔のてっぺんから見る小貝川はイラワジ川のように見えて、26年前に訪れたミャンマーの田舎にいるかのような錯覚に陥いります。はるか遠くミャンマーの地で散っていった故郷の英霊たちや、命からがら帰ってきて戦後の復興を支えてきた先輩たちのことを思うと、今の日本の不甲斐なさを申し訳なく思います。

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 慰霊塔に置いてあるノートに、私は

「英霊の皆さん、お疲れさまでした。安らかにお眠りください。そして、ミャンマーに平和を」

と記させていただきました。