福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

沖縄復帰から50年目の日

〇今日は沖縄復帰から50年目の日。沖縄と東京、そして皇居を結んで開かれた記念式典に、有志の会を代表して参列してまいりました。

 私は、沖縄の苦難の歴史を振り返る時、日本人(ヤマトンチュ)としてある意味後ろめたい複雑な思いになって、ずっと正面から向き合ってこられませんでした。単なる観光のために沖縄に行く気にはなかなかなれず、最初に沖縄を訪問したのは4年前の友人の玉木デニー知事の選挙の時でした。(つい先日、赤坂を歩いている知事に偶然ひょっこりお会いした。)

 沖縄の歴史は、先の大戦で日本で唯一の地上戦の凄惨な戦場となり、戦後四半世紀にわたって米国の統治下に置かれ、その後も過大な基地負担に苦しみ続けるのですが、それだけではありません。15世紀に尚巴志が統一した琉球王国を樹立して以降、17世紀には薩摩藩の支配下に置かれ、同時に大陸の明や清の冊封を受けていました。そして、1879年の維新政府による琉球処分によって、「沖縄県」となることになったのです。

 私は、こうした歴史は、台湾の原住民の歴史とも重なると感じて、かつて2007年頃に東京財団に在籍時代、故李登輝元総統が主宰する台湾のシンクタンク群策会と台北で、沖縄と台湾の共通性を見出すための共同シンポジウムを開催したこともありました。これは、李登輝先生からも、画期的なシンポジウムだと評価をいただきました。

 まつろわぬ民、天皇の赤子(せきし)ではない沖縄の人の思いを一番よくご存じなのは、歴代の天皇でありましょう。上皇さまは、かつてお誕生日の会見で「私にとって沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者(注:曽祖父が最後の薩摩藩主島津忠義)として心の痛むことでした」と、支配者としての悔恨の念をおっしゃっています。

 今日の式典でも天皇陛下は、火炎瓶を投げつけられる洗礼に遭ったことをおくびにも出さずに、「復帰から15年を経た昭和62(1987)年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました」と淡々と自らの経験をお述べになった後、「沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています」と、天皇の立場としては異例のお言葉を紡がれました。

 私は、その行間に込められた大御心を忖度して、ハッと背筋を伸ばさざるを得ない気持ちになりました。ヤマトンチュとウチナーンチュがどうやって真の調和を実現できるのか、古事記や日本書紀に記された古代以来の課題を私たちは、背負っているのです。この重すぎる課題を実現するためにも、私たち政治に携わる者は、まずは沖縄の基地負担の抜本的な軽減に真摯に取り組み、日米地位協定の改定に向けて行動していかなければならない、と改めて心に誓ったのでした。

最後の写真は、式典前の時間に品川宿を散歩して、桜田門外の変前に水戸藩士が集った土蔵相模跡です。