〇和歌山2区で落選した立憲民主党の藤井幹雄候補の選挙レポート。私は面識はないが、東大法学部を出た弁護士。候補者のタマとしては、悪くないはずだ。しかし、7万9千対3万6千の大差。
1区と言いながら農村部が大宗を占め、同様に自民党王国で戦ってきた私とも境遇が重なる。私が出る前の茨城1区の衆院選では、自民党候補13万2千対民主党候補5万3千で倍以上の差を付けられていた。私が候補予定者になって渡された民主党の党員・サポーター名簿は、わずか11名。初日に全戸回ったら、記載された住所に住んでいる実体のある方は6名しかいなかった。
【ここで勝つには、自民の票を切り崩さなければいけない・・・「保守層をひっくり返すということを目指したが、それができなかった」 農村部においては、想像以上に共産党アレルギーが強かったとも感じている】
まさにこうした選挙区では、共産党の組織票以外はほぼ自民党票というのが実態だ。自民党票を切り崩すためには、どうするか?それは、政策や「保守かリベラルか」のような立ち位置の問題ではない。華麗な経歴も、ほとんど役に立たない。1軒1軒訪ね歩いて、直に接してもらって、自分を一人の人間として評価してもらうしかない。
「共産党アレルギー」で離れていくような票は、そもそも入ることはない。農村部の選挙には「マーケティング戦術」のようなものは、ない。みんな見ていないようで、物陰から、遠くからこっそりと政治家を見ているから、すべての自分をさらけ出して、一人一人の有権者の心を動かしていくしかないのだ。この方は、たった1回の小選挙区での挑戦で、まだ選挙区内に人間として評価されるような活動の積み重ねがなかったのだろう。
【選挙戦を通じて感じていた違和感を口にした。
「立憲は連合の政党なのか?ということです」・・・「連合だけの顔色を見ているだけでは、本来のターゲットにすべき無党派、中間層へのアプローチが遅れてしまうように思います」】
徒手空拳野党から挑戦する候補者の多くは、党本部からの指導や連合の組織力や組織票に期待する。しかし、政治の世界には、そもそもそのようなものはない。何かの神輿に乗っかれると思ったら、大間違いだ。連合の幹部だって組合員だって、結局人間同士の付き合いで、人間としての魅力を感じてくれたり、好きになってくれたりしなければ、応援はしてくれない。当たり前だ。
結局、候補者とは、誰にも頼らず孤独に戦う覚悟を持ちながら、すべてをさらけ出し、素っ裸になったときに初めて本気になって応援してくれる人が現れる、という荒行に耐える変人しかなれない。でも、縁もゆかりもない多くの他人から権力を委ねられる政治家とは、そもそもそのようなものだ。そのような変人が存在して、民主政治とは成り立つものなのだ。
問題は、野党にそうした「本物の政治家」が集まりうるのかということだ。大きな組織におもねり、幹部たちが「フォロワーシップが足りない」と内向きの権力を振りかざして党内の異論を封じ、その割に「今、この国をどうするのか」という大義がよくわからない政党には、「本物の政治家」は自らの身柄を預けようとはしないだろう。
「人材がいない」というのは、政党自体が「本物の政治家」を育て、集める機能をはたしていないからなのである。地方から野党系無所属で当選した猛者たちの5人会派「有志の会」は、「本物の政治家」を集める核となってまいりたい。