〇昨晩、茨城県議会議員選挙の当落が決定した。筑西市選挙区のしだらえみこ候補、水戸市・城里町選挙区の玉造順一候補、舘静馬候補など応援した候補者の当選は嬉しい。
一方、40代・50代の同世代を中心に盛り上げを見せていた定数1の桜川市で、自民党現職候補に約500票及ばず届かなかったのは、悔しい。でも、初めて選挙に関わったことで、自分たちの故郷を自分たちで何とかしなければならないという思いがみんな強くなったようだ。私も、こうした思いに今後とも寄り添っていきたい。
この茨城新聞の号外の紙面や各紙の各紙の見出しを見ていると、多くが全く的外れのことを書いている。地域に密着した地元紙ですら、こういう報道しかできないのは情けない。それは、県議選を政党の争いで見るからだ。今回の茨城県議選は、政党で見れば自民党が過半数を取って安定し、旧民主系政党は現状維持、維新とつくば市民ネットが初めて議席を獲得したということになるのだろう。
しかし、そもそも旧民主党系政党は茨城県内で与党と戦う意思などなく、各地で候補者を立てて戦う与野党の対立構造はないのだから、そのような分析は全くの無意味だ。各紙の記者から受ける取材も、政党ベースの表面的なものばかりで、選挙の現場を見ていれば出ない頓珍漢な問いかけばかりなので、辟易とした。県議選は、政党同士の争いである以上に、「党より人物」の争いなのだ。
注目すべき点は、今回の茨城県議選で現職の自民党公認候補が10人も落選したことで、これをどう捉えるかだ。保守系無所属だから、自民党の追加公認を得るだけで何も変わらないという見方もあるだろうが、現場で選挙を戦っていた私からみると、大手メディアでは報じられない大きな時代の変化が来つつあると感じた。
これまで1/3くらいの選挙区が無投票だった茨城県議選で、これだけ多くの保守分裂の構造が出てきたのは、私が昨年の衆院選で「党より人物」と掲げて無所属で当選できたことも、多少の影響を与えていると感じている。ずっと自民党を応援したきた人が、自民党王国の茨城県で、自民党以外の何かを人物を見て応援する勇気が出てきたのだ。
そして、実際の選挙戦になると、党としての組織はとうに弱体化している中で「自民党公認」という看板は、黙っていても有権者が投票してくれるという保証にはならない。これまで選挙運動の担い手になってきた中小企業事業者なども、自民党だから応援するということではなくなっている。特に40代、50代の候補者が出たところは、それまでの古典的な選挙運動を志向する高齢の自民党支援者から、政党にこだわらない若手の運動員に担い手が変わってきている。
私は、選挙戦中、バリバリの自民党だった地方議員や元首長、業界団体の長などから、痛烈な自民党批判、岸田政権批判の演説をするのを聞いてきた。得も言われぬ地方の閉塞感の中から、やむにやまれぬ思いで、何かが胎動しはじめているのだ。私は、青年日本の歌の中の「天の怒りか地の声か そもただならぬ響きあり 民永劫の眠より 醒めよ日本の朝ぼらけ」という一節を思い起こした。
しかし、今の国政に携わる者の多くには、この響きはまだ聞こえていないだろう。ましてや、自民党に代わる政権を目指すべき既存の野党は、その響きすら聞こうとしていないように思える。近いうちに、永劫の眠りより醒めた民の声を聞く政治の枠組みを、既存の政党を超えて作るべき時が来るのではないだろうか。