〇参院選後のちょっとしたひと時に、現在全国各地で上映されている映画『破戒』を見に行った。言うまでもなく、島崎藤村の小説を元にした、明治維新後の信州を舞台に被差別部落出身の主人公の葛藤を描いた映画である。
私は、小学5年生の時に母親にこの本を渡されて読んだ。差別など身近では感じたことのない環境で育った私にとっては、当時はただひたすら暗い小説だと感じた。だが、私の母がなぜこの小説を読ませたのかについては、大人になって少しわかるような気がする。中学生の時に私も息子にも買い与えたが、読んだ形跡はない。
映画の中には、原作にはない「全ての国民が上等な教育を受けられる世の中になれば、部落への差別などなくなるんでしょうね」と主人公の瀬川丑松が、部落出身の思想家猪子蓮太郎に問いかけるシーンがある。猪子は「そうだろうか。よしんば部落差別がなくなっとしても、その時は新しい差別が生まれているかもしれない」と答える。
しかし、あらゆる差別や偏見は、知性の欠如によって生まれるものである。怪しげなカルト宗教にハマることも、ネット上を流れる陰謀論を信じてしまうのも、過激な言辞を吐く政治家に惹かれてしまうのも、仮説を立て、反証を求め、真実に近づこうとする知的態度をとることの欠如から生まれるものである。
映画では、ボロボロのノートを真っ黒にして勉強する被差別部落出身の少年が上の学校の進むことや、没落した士族の出来悪い子供が勉強をやる気になる姿や、主人公が故郷を離れて上京をして再び教職の道を進む様子が描かれる。学ぶことの意義を、それとなく語っていることがこの映画の一番の趣旨なのだろう。
こうした良作は、だいたい茨城の映画館では見られない。お隣の栃木県や千葉県では上映されているにもかかわらず。茨城県民はこういう映画を観ないだろう、というマーケティングがあるのだとすれば残念でならない。