福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

映画『新聞記者』評

〇いつもの辛口の映画コメント。近畿財務局の赤木さんの遺書を読んでいたら無性に見たくなって、『新聞記者』の日本アカデミー賞受賞凱旋放映をひたちなか市で鑑賞。

shimbunkisha.jp

 言うまでもなく東京新聞の望月記者の著書をベースに、森友・加計問題をモチーフにして作られた映画。映画自体は非常によくできていて、素直に見れば心にズシンと来るいい映画だとは思う。

 しかし、こうした事実をベースにしたフィクションは、リアリティがなければ途端に興ざめになってしまう。一つは、日本語がたどたどしい米国帰りの日本人と韓国人のハーフの記者という主人公の設定が、ちょっと無理がありすぎて感情移入ができない。主役のキャスティングからこのような設定とせざるを得なかったのだろうが。

 さらに、かつて内閣官房で政権の中枢に接し、さまざまな記者と接して、リーク記事などを書かせていた経験からすると、大学の新設認可をめぐって自殺したり、悩みながら記者に情報を渡す官僚の姿が、現実とはちょっと違う。「事実は小説より奇なり」で、あの程度のことで悩んだり飛び降りたりするようでは、内閣官房や内閣府の官僚は務まらない。

 私は、まさにこの映画の題材となっている特区制度を小泉政権の時にはじめて作る仕事を中心となってやっていた。制度を実現するにあたって、一番の困難は政権与党内の業界利益を代弁する「族議員」たちであった。そうした「族議員」たちの抵抗を抑えて、与党内や政府内で物事を決定するために、さまざまな情報を朝日新聞から産経新聞まで小出しにリークして記事にしてもらった。

 原作の望月記者からすれば、官僚たちは情報を握って出さないカーテンの向こう側の存在なのかもしれないが、実際には決してそうではない。官僚と記者は相対立する存在ではない。当然、それぞれの与えられた任務や役割があるが、それでも官僚は日常的に記者たちと表や裏で接して、その人間性を見た上で、意気投合すればまさに共同作品として情報を提供し、記事を書いてもらう。官僚と記者との人間同士の付き合いで、記事はできていくのだ。たぶん望月記者には、そのような経験はなかったのだろう。

 週刊誌に出るようなスキャンダル情報も、多くは官僚からのものだ。私のボスだった故鴻池大臣は、国対族のボスとして与野党さまざまな政治家の表裏の情報に通じていた。部下の私は、与党内のキーマンの政治資金から後援会の構成まで調べさせられて、レポートを作っていた。自民党の部会で特区に反対するような発言が度を過ぎる議員がいれば、その議員の兄貴分などを使ってそれとなく警告を発した。それでも頑張って反対する議員の情報は、週刊誌などに提供した。大臣は、なぜかそうした議員の表に出せないようないろいろな写真も持っていた。

 当時の官房副長官の安倍現総理や根本特区担当副大臣も、日本医師会に政府内の検討状況の機密情報を流していたので、某紙に批判記事を書かせたりもした。この他にも、自民党内の意思決定、国会対策のために、言えないようなことをいっぱいしてきた。

 そうした策を弄しなければ、構造改革特区などという奇天烈な制度は実現しない。やがて、小泉政権の内閣官房内で暴れまわる鴻池大臣と私に対して快く思わない勢力の人たちが、私たちを追い落とそうとした。鴻池大臣と私に対して東京地検に告発状が出され、私は出向元の経済産業省の官房長に呼ばれた。

 「もう、これ以上やるな。君を傷付けないよう内閣官房から戻す。3年間好きなところに留学に出してやる」と言われた。それまでいくら留学希望を出しても行かせてもらえなかったのに急にどうしたのかと思って、「いつから準備すればいいですか?」と聞いたら、「来週から渡米してくれ」と言われたので、「私は日本のため、政権のためにはたらいてきたのに、なんで逃げるようにアメリカに行かなくてはならないのですか」と言って、その場で辞表を出して選挙に出ることを決断した。その数週間後、鴻池大臣も(わざと)舌禍事件を起こして、大臣の再任を拒絶する姿勢を示した。

 こうした経験をした身にとって、この映画で描かれている世界はあまりにもナイーブすぎる。今、この瞬間新型コロナウイルス対策を特命を帯びてやっている官僚たちも、この映画よりも大変な思いをして仕事をしている人たちが何人もいるはずだ。森友問題で公文書を改ざんする現場も、国家戦略特区で官邸からの指示を受けながら苦闘した現場も、この映画で描かれている場面よりももっと重苦しい緊迫したものであったはずだ。この映画は、残念ながらそうした現実の権力の中枢の現場にいる者の空気をきちんと描けていない。まだ『シン・ゴジラ』の方が現実に近かった。

 だから、私はこの映画を観ても、感情移入することができなかった。権力の反対側にいると思っている人にとっては、権力は「敵」で「悪」のものなのかもしれないが、権力の中にいる者の悩みや苦しみはもっと重々しいものだ。だから、私は「反権力」という姿勢は嫌いだ。当然、権力に媚びを売るのはもっと嫌だが。この映画は、残念ながら肝心のそこを描けていない。いずれ、死ぬ前に私が経験してきたことを言葉にして残しておきたい。