福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

水戸芸術館

〇国会会期中だけど日程をやりくりして帰水し、水戸芸術館を運営する水戸市芸術振興財団の森英恵理事長、吉田光男副理事長、小口達夫水戸室内管弦楽団名誉顧問のお別れ会に。奇しくも3人の大御所が8月から9月の1ヶ月のうちに亡くなり、一つの時代が終わったような感慨に陥る。

 水戸芸術館は、佐川一信水戸市長が懐刀の吉田光男さんと一緒に人生を賭けて作ったもの。旧制水戸高校出身で初代理事長の江戸英雄さんが「文化果つるところ」と言った水戸に、吉田秀和館長をはじめとする世界的な芸術関係者が集まり、「芸術の梁山泊」とも言うべき場所を作った。この日、モーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488第2楽章、ディヴェルティメント ニ長調K.136第2楽章を奏でた水戸室内管弦楽団の色が見えるような繊細な音色は、その到達点を示すものだった。

 最近は少し疎遠になっていたけど、中高大の先輩でもある吉田さんには、いろいろとご指導をいただいた。後援会の副会長にもなっていただいていたが、政治的な集会にはいらっしゃらず、自宅でいろいろとお話しいただいた。「福島君、政治家は週に1回は必ず音楽か演劇か絵画かに生で触れなさい」「週に1冊は経済や政治の本ではなく、哲学や歴史の本を読みなさい」と。

 でも、私は選挙に弱くて、朝から辻に立ち、自転車やバイクで地域を回り、夜は会合に出る毎日に、この20年間そうしたことはできなかった。幼少時からピアノや油絵を習い、中学生まではピアニストになることが一つの夢だったことは、東大・官僚出身の鼻持ちならない男に見られたくないため、秘してきた。

 水戸室内管弦楽団の音色を聴きながら、もうそうしたことを指導してくれる先達たちがいないことを改めて実感し、いまこそ殻を破って吉田さんからいただいた言葉を実践しなければ、と誓った。水戸を再び「文化果つるところ」にしてはならない。文化を果てさせるものは、往々にして政治だ。佐川市長、吉田さんの残した精神を、大切に引き継いでいきたい。

 吉田さんが晩年批判していた水戸芸術館の前に建つ市民会館は、この日明かりを灯していた。磯崎新設計のアートタワーの向こうに、伊東豊雄設計の水戸市民会館。できてみたら、そんなに悪くない。芸術は常に、ハプニングから生まれる。あとは、その場にアートの灯をともすのは、私たち水戸市民だ。