福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

小澤征爾水戸芸術館館長のお別れ会

〇昨晩は小澤征爾水戸芸術館館長のお別れ会が水戸芸術館で開かれた。こうした弔事ではいつも演奏される水戸室内管弦楽団の「G線上のアリア」は、繊細なハーモニーで素晴らしいものであるが、木魚を叩くようなコントラバスのピッツィカートをバックに、一つ一つの弦楽器が奏でる音が深くて、昨晩は何かが降りてきたよういつにも増して躰の奥底に響いた。

 長女の小澤征良さんは、演奏を聞いて「父の魂で繋がった音楽に父は生きていると感じた。今日は父とのお別れではない」とご挨拶。しみじみと肉体を超越できる芸術のすばらしさを実感した。水戸芸術館を「宝の持ち腐れ」にしないのが、地元で政(まつりごと)に携わる私たちの役割だ。

 昨晩、私の躰の奥底に響いたのは、恩師の鈴木一司先生が亡くなり、水戸芸術館に行く前にその亡骸に最期のお別れをしてきたからかもしれない。数年前から病に体を蝕まれていたが、2月の那珂市議選で私が先輩の応援に行った時には、わざわざ私の応援のプラカードをもって駆けつけてくれお元気になられたかと思ったので、つい先日にGWの同窓会にもお声掛けしていらしていただいた。でも、その数日後に猛烈な痛みが体を襲い、急逝されたという。

 私は中学生の時、英語の先生でサッカー部の顧問だった鈴木先生と仲が悪く、大喧嘩をして大好きだったサッカー部を辞めた。3年生の時には、鈴木先生から英語の授業で一度も指されることはなく、それ以降英語は苦手科目になった。生意気盛りのティーンエイジの、あまりいい思い出ではなかった。

 20年前に地元に戻って選挙に出て何度か落選を繰り返していた頃、ある会合で後ろから強い握力でグイと肩を掴みながら「フクちゃーん」と独特のネチっとした声で声を掛けて来る人がいた。校長先生になった鈴木先生だった。人懐っこい笑顔に接して、一気にわだかまりが溶けた。

 その後、茨城県の校長会会長などの要職を務められ、表立っては応援できないといいながら、私の質問がNHKで中継されるたびに、電話や手紙で感想を伝えてくれた。私がいない場でも、スナックなどの夜の場で、私のことをいつも話していたと何人もの方からお聞きした。情の深い人だった。

 昨日、ご自宅には一つ下のサッカー部の後輩夫婦も来ていて、先生の亡骸を前に思い出話に花を咲かせた。教え子たちは、みんなそれぞれに立派に成長している。小澤征爾と同様先生も、たとえ肉体は滅びても、魂で教え子たちと繋がって生き続ける尊い仕事だと思った。明日の葬儀は本会議があって行けないが、ただひたすらご冥福をお祈りいたします。