〇彼岸の中日は、墓前にて母、祖父母、曽祖父母に近況の報告。お寺さんにも、最近の国会での活動をご報告。
午後は、新国立劇場でのワグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』に。昨年亡くなった高校・大学の大先輩で水戸芸術館を創設以来支えた吉田光男さんから、「福島君、政治家になるなら週に1回は必ず芸術に触れるか、ちゃんとした本を読みなさい」という言いつけを、3期目にしてようやく守るよう努めています。
それぞれの役を演じる歌手や、大野和士指揮による東京交響楽団のオーケストラ、簡素にして奥深いデイヴィッド・マクヴィガーの演出はもちろん素晴らしいかったのですが、それ以上にワグナーの魔力か、中学2年生の時三島由紀夫の『仮面の告白』を読んだ時以来の、魂の奥底が揺さぶられるような思いがしました。第二幕からもう、目ではなく躰の深いところから涙が溢れてきました。三島自体もこの『トリスタンとイゾルデ』をこよなく愛し、『憂國』を自ら出演して映画化した時には、全編をこのオペラの序曲と「愛の死」をバックミュージックとして流し続けました。私が10代の時夢中になって読んだニーチェも、ワグナーと濃厚な関係がありましたから、ここで描かれている死生観は私のこれまでの人生を通じて形成されてきた死生観と同じものと感じました。
ストーリーは、乱暴に一言で言えば「究極の愛は二人が同時に死に、二人の関係に「と(and)」という言葉が不要になって実現する」というのものですが、それは仏教でいう「生死一如」という考えでしょう。ワグナー自体、仏教思想を研究したショーペンハウアーにインスパイアされてこのオペラを作ったと言われているので、死生観がキリスト教的ではなく仏教的なのです。うちの菩提寺の浄土真宗で言うと、「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」ということかと思います。
ワグナーは、音楽家でありながらドレスデン蜂起に関わって亡命するなど政治と強い繋がりがありました。ヒトラーは、ワグナーの音楽を統治に利用しました。今思えば、三島の自死にも『トリスタンとイゾルデ』の影響を感じます。私も政治に携わる身になって、ワグナーの音楽が媚薬のように躰に染み込んで得体のしれないエネルギーを生み出すことを実感しています。残りの人生、まさに生死一如の思いで政治に取り組もうと思った一日でした。