〇橘孝三郎生誕百三十年・歿後五十年記念式典にお招きいただき、先輩方を前に僭越ながらご挨拶もしてまいりました。お孫さんのご夫人、曾孫さんと一緒にパチリ。曾孫のさちこさんは、一昨年の私の選挙で朝から晩まで何かに憑りつかれたように懸命に応援してくださいました。
水戸出身の橘先生は、一般には5・15事件の首謀者の一人として無期懲役の判決を受けた国家主義者のように思われ、戦後その著作は禁書扱いとなって半ばタブー視されています。しかし実際には、「土とま心」という言葉が表すように、その本質は農本主義者であり、土に還って共同体で芸術とともに晴耕雨読の生活を送る極めてリベラルな思想の持ち主でした。西欧起源の左右の思想の類型では分けられない、偉大な知性の持ち主だったのです。そして、権力者としての天皇ではなく、大嘗祭を象徴とする農耕民族の斎主としての天皇こそが共同体の要となっている日本社会のあり方を描き出しました。
私は、三島由紀夫を通じて橘孝三郎先生に辿り着き、高校生の頃古本屋で戦前の著作を買ってはじめてその思想に触れました。一昨日お別れ会を行った鈴木邦男さんも、広く見て同じような系譜の思想でしょう。政治家の思想というものは、理屈や知識から醸成されるものではなく、その土地の風土の中から生まれてくるものです。橘先生の思想も、水戸学を育んてきた水戸の地だからこそ、形成されたものなのでしょう。
私も、水戸の地で育った政治家として、先達たちの思想を掘り起こし、自らが種となってその遺伝子を現代日本の荒野の中に芽吹かせたいと決意しています。
すめらぎの道をかしこみ聖筆(まふで)とる
聖筆とりつつ天に昇らん