〇橘孝三郎の3月30日の命日を前に、橘邸の書庫を見せていただきました。
橘孝三郎というと5.15事件を首謀した過激なテロリストのように思われていますが、その著作を読んでみれば農本主義に徹した「尊皇リベラリスト」とも言える大思想家であったことがわかります。楯の会を作った三島由紀夫も、橘がどう思っているのかを気にしていたくらい、その思想は左右のイデオロギーを超えた普遍性を持つものでした。最近のネット上にあふれる「似非保守」とは、まったく違うものです。
戦後一度火事に見舞われたため、書庫には戦前のものがほとんど残っていないとのことですが、歴代天皇や維新の元勲たちに関する資料、支那、印度、ローマなどの洋の東西の歴史に関する資料などがずらりと並んでいました。英語だけでなく、ドイツ語やラテン語の本も。橘孝三郎の最期の直弟子は、丸善の洋書を当時一番多く買っていたのが橘孝三郎だった、と私に語っていました。
東日本大震災で崩れ落ちたりして雑然としてる中には、原稿やメモ書きの類も膨大に残されていました。何気なくめくってみると「すめらみことの復活」と題された原稿や、「印度民族の歴史と文化」として「戦争と制服、国家興亡現象に重点す可からず」と書かれたメモなどが。
これらの貴重な資料を整理・保存しなくてはならないのですが、先日孝三郎の孫に当たる当主が亡くなり、手を付けられない状況になっています。もしかしたら未発表の原稿などもあるかもしれません。こうした時代こそ、再び橘孝三郎に光が当てられなければならないと思うのですが、私だけではどうしようもありません。散逸する前に、どなたか整理して学術的に研究をしてくれないものかとも思います。
曾孫さんには、私の街宣車を回してくれたりとお手伝いをいただいております。私の使命は、政治活動の中で橘孝三郎の思想を少しでも世の中に生かすことだと考えています。ポスターに掲げている「すべてをこの故郷(くに)のために」という言葉も、それを表しているつもりです。私が座ってる後ろの襖に書かれている「土とま心」と同義です。
思想は、時間を超えて生き続けます。戦後、GHQから禁書されタブーとなってしまった郷土の大思想家、橘孝三郎にもう一度偏見なく光を当てられるよう、私なりにできることをやっていきたいと思います。