福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

水戸藩殉難者恩光碑保存会総会でご挨拶申し上げました

〇水戸藩殉難者恩光碑保存会総会で一言ご挨拶申し上げました。この会は、いわゆる諸生党の末裔の会。幕末から明治にかけて、水戸藩内で天狗党と諸生党の争いの中で、天狗党は筑波山で挙兵し京を目指した敦賀までの西上中悲惨な目に遭い、諸生党も戊辰戦争後「賊軍」の汚名を着せられ、多くが悲惨な最期をとげました。

 私は、同じ弘道館に学び、同じ志を持った藩士たちが、さまざまな行き掛かりによってお互いを殲滅せんと争った水戸の歴史を、何とか克服したいと思っております。私の支援者の中には、「諸生の会に参加していると水戸の選挙では勝てないぞ」と忠言される方もいらっしゃいます。昭和11年にこの写真にある恩光碑が除幕した時、碑文を揮毫した水戸藩出身の外交官室田義文は、天狗党の末裔からの暗殺を恐れて、懐に拳銃を忍ばせていたと言います。

 水戸学を学んだものであれば、おほみこころは同じおほみたからを義と賊に分けるものではないことを理解するでしょう。かつて私は、亀井静香先生などと共に靖国神社の徳川康久宮司(当時・慶喜公の曾孫)に、靖国神社にいわゆる官軍だけでなく諸生党や西郷隆盛など「賊軍」の汚名を着せられた人を祀るよう訴えました。宮司は私の目をしっかりと見て、「水戸に所縁のある者として、私はそれをやるために靖国神社の宮司になったのです」とおっしゃっていただきました。しかし、そうした動きに反発する勢力から宮司の職を引きずり降ろされてしまいました。

 歴史の評価というものは、難しいものです。勝者が敗者を評価して作られた歴史は、しばしば正当な評価がなされていない場合があります。私は、水戸の政治家として、同じように日本の行く末を憂い、天皇を敬い、しかし戦に敗れた先人たちの名誉を回復するために、自ら学び、行動してまいりたいと思います。