福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

中公新書『五・一五事件』

〇移動の際に読もうと思いながら、カバンの中に入れたままにしていた中公新書『五・一五事件』を読了。

 五・一五事件は、学校で習う歴史では二・二六事件と並んで、日本が軍国主義に向かう道程として学ばれるが、実際は全く違う。首謀者の三上卓や水戸出身の橘孝三郎、大洗の護国寺の井上日召らが思い描いていたのは、一君万民の下での腐敗した政党政治、財閥による富の独占、官僚化した軍部を一掃する昭和維新。

 首相官邸で犬養毅を撃った三上卓は、軍法会議で次のように言う。
「首相個人に対する怨みは毛頭ない。私には当時の気持は悲壮の感があった。首相の態度は立派だが、我々は首相を憎まず、革命運動の犠牲者として撃つ積りである。・・・私は首相に「総ては天命である。我々は首相一個人を撃つのではない。安んじて眠れ」と言ってやりたかったのです。」
ちなみに、私の母方の実家は岡山で犬養毅の地区の後援会長のようなものをしており、遊説の際には家に泊っていたという。

 この本では、五・一五事件の首謀者たちが、その後やはり茨城県出身の風見章などとともに近衛新体制を支え、東條英機の官僚的な国家総動員体制に反発して暗殺しようとし、民間からの反戦和平工作を企て、戦後は反共親米の「右翼」と一線を画す様子が綴られている。教科書では学ばない歴史の側面ばかりだ。現代のネット上での右左のレッテルなど、まったくの無用だ。

 三上卓は、晩年の著作で言う。
「凡てのテロやクーデターは、日本では、必ず失敗する。断じて、五一五事件を繰り返してはならぬ。くりかえさしてはならぬ。言葉をかえて云えば、暴力革命は幾度やっても成功しないが、絶対失敗しない「維新運動」のみが凡てであり、無窮の生命力を持つことを忘れてはならない。」
つまり、祖国の「いのち」(=天皇・国体)の悠久を信じ、「国民が真に覚醒」することを「いのり」、そのために「私心なき精神」を発揮することこそが、「維新運動」であるのだ。

 こうした思想には、水戸の土地に刻まれた思想が色濃く反映されている。実際に当事者の多くは、水戸の関係者だ。また、こうした思想は、水戸藩支藩の宍戸藩主末裔の三島由紀夫のちょうど50年前の行動にもつながるものであろう。

 五一五事件に若者を駆り立てた当時の世相は、農村の荒廃、グローバリズムに翻弄され格差が拡大する経済、国際政治の荒波に弱腰の政府の外交、そうしたことに対応できない腐りきった政党政治である。

 あれから90年が経とうとしている今、水戸の土地に刻まれた思想の欠片を身に刻んだ者として今一体何をなすべきなのか、私の政治活動の原点を振り返らせてくれた書だった。

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