福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

郷土の先哲たちに学ぶ

〇政治家はお祭りを回るだけが仕事ではありません。混迷の時代、この国の行く末を考えるために来し方を振り返る勉強もしなければなりません。

 常磐神社では、コロナ禍前は恒例だった水戸学講座。今回は、住谷光一先生の「義公のナゾにせまる」。義公とは、もちろん徳川光圀公のこと。令和10年に生誕400年を迎えます。当初、光「國」と名乗っていたのが、なぜ光「圀」と名乗るようになったのか。「圀」の字は、支那の王朝の唐を混乱させた則天武后が作った文字。そうした歴史的謂れから、必ずしも縁起のいい文字ではありません。光圀公は天皇から、当時廃れていた皇室の儀礼を文献を調べて編纂するよう求められ、天皇家との関係を深めます。そうしたやりとりの中で、「國」という文字を使う重みに気付き、へりくだって「圀」という字を使うようになったのではないかという興味深い説が豊富な文献資料を基に説明されました。

 光圀公は、しばしば「興廃継絶」という言葉を記しています。「廃れたるを興し、絶えたるを継ぐ」。応仁の乱や戦国時代を通じて廃れていた皇室のさまざまな儀式を復活させることに貢献したのも、このような考えの下だったのです。今の日本の政治にも、必要な思想なのではないでしょうか。

 一昨日は同志の折本龍則千葉県議らと共に、光圀公が水戸に呼び寄せた支那の高僧心越禅師が開いた祇園寺で、橘孝三郎先生の墓参。『日本を救う農本主義『日本愛国革新本義』『永遠なる義公』』の刊行のご報告をいたしました。その後、橘孝三郎先生が開いた愛郷塾に移動して、著者の小野耕資さんからご講義をいただきました。

 橘孝三郎先生は5.15事件を首謀したテロリストのように評価されていますが、実際には洋の東西の哲学に通じた教養深いリベラリストでした。著書には明確に書かれてはいませんが、その思想には明らかに光圀公以来の水戸学の影響が流れています。土を耕しながら協同生活を送る「農本主義」などは、まさにそれでしょう。

 私も、水戸の政治家として、このような時代だからこそ郷土の先哲たちに少しでも学び、今後の政治家としての行動の糧としてまいります。