福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

11月25日は、三島由紀夫の命日

〇昨日11月25日は、三島由紀夫の命日。三島の小説、戯曲、評論、子供の頃の習作までほとんどの著作を読んでいる私にとって、三島由紀夫は自分の血であり肉である。ちなみに「愛国」という言葉を嫌った三島は、戦後の「保守」を名乗る勢力とは無縁であった。

 命日の前日には、50回忌まで野分祭として行われていた、三島由紀夫と、共に自決した森田必勝を偲ぶ恢弘祭に参列。実行委員長の木村三浩さんの祭文では、「対米追従を決めこむ岸田政権では、日本国の主権と伝統的価値観に基づいた国家理性を発揮することができず、自主独立の気概なく、政治、経済、文化、教育、国民の誇りをすべて喪失させていっています。三島烈士の「日本が自主性を恢復しなければ日本は滅びる」とのご指摘は的中していると言わざるを得ません」との言葉が。

 この日の日中は、国会本会議での亡国の補正予算案の採決前のぽっかりと空いた時間を利用して、同僚議員と日生劇場でのオペラ『午後の曳航』を鑑賞。もちろん、原作は三島由紀夫。それをドイツ人のヘンツエがオペラに仕立てたもの。宮本亜門の演出は、いかにもというもので結構だが、ヘンツエの三島の解釈は残念ながら原作とイメージが違い過ぎる。

 原作の舞台は、横浜。舞台となる家は、港の見える丘にある山手町谷戸坂上。

【窓にはまぶしい光と、海の反映で琺瑯(ほうろう)質のように固くつややかに見える雲の数片があるきりだ】

と、アドリア海やエーゲ海のような青い開放的な海とそこをバックにした逞しい船乗りの男が出てくるのに、ドイツ人のヘンツエの手にかかると低い雲の下のグレーのバルト海のようなイメージで描かれてしまう。

 話の一つのテーマは、ギリシア神話のオイディプス。未亡人となった母と二人暮らしの少年が、父となって陸に上がって平凡な男に成り下がった船乗りを殺す話なのだが、ヘンツエの「創造的誤解」(解説の長木誠司東大名誉教授)によって同性愛的要素が入ってしまって、名と暗、貴と賤、冒険と平凡、大義と小俗などの対比の傑作物語が台無しになっている。私が苦手の現代音楽がさらに陰鬱な気分にさせる。難しい譜面を見事に演じた二期会の歌手と新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏は素晴らしかったが。

 ここまで書いてきて、はたと気が付いた。亡母は三島に傾倒し、子供ができたら「由紀夫」という名前を付けて楯の会に入れようとしていた。私が生まれた時に、姓名判断の易者に「福島由紀夫」にしたいと訊ねたら、「親を殺すような子供になるだろう」と言われて「のぶゆき」という名前になった。もしかしたら、この小説のことを言っていたのかもしれない。

 こうして名付けられた私は、中学生になるまで怖くて三島由紀夫の小説を読めなかった。しかし『仮面の告白』を読んで雷に打たれたような衝撃を受けた後、貪るように読み漁って青年期の人格形成に多大な影響を受けた。それは、政治家を志し、政治家になっても、死ぬまで変わらない。できれば肉体以上の価値を残すことが、私の本望だ。