〇今日は日本初の死者を出した原子力災害である東海村JCO事故から25年目の日。東京新聞がインタビュー記事を出してくれました。ぜひご一読ください。
当時、私は資源エネルギー庁で原子力発電所の立地の仕事に携わっていました。「放射能が敷地の外に出るような事故はあり得ない」などと説明させられていましたが、内心「そんなことありえない」と思っていました。いざJCO事故が起きてみたら、科学技術庁をはじめ日本政府は無能の極み。被曝したJCO社員が刻々と容貌を変えて亡くなっていった様子を見て、絶対にこのようなことを起こしてはいけないと誓い、私が政治を志す原点の一つともなりました。記事の中にも、故梶山静六先生のJCO事故を受けての述懐がリンクされていますが、いい加減で無責任な「国策」を生む政治であってはいけないのです。
それでも、私は、特定の科学技術をリスクがあるからと言って全否定することはいたしません。科学技術と正面に向き合いながら、リスクを認識し、それを社会的に受容する技術や制度を構築し、人類の利益を増進することこそが政治の役割、社会の成熟であると考えるからです。まったく正当性のない衆議院の解散総選挙が報じられる今日、改めて自らの政治の原点を確認いたしました。