福島のぶゆきアーカイブ

衆議院議員 福島のぶゆきの活動記録です

水戸一高同窓会

卒業後20年たってはじめての水戸一高平成元年卒業の同窓会が開かれました。私は、父の仕事の都合で2年生の途中から神奈川の学校に転校したのですが、みんなに温かく迎えてもらい、多くの懐かしい仲間に出会えることができ、楽しいひと時を過してまいりました。

高校生当時は中曽根内閣が「戦後政治の総決算」を唱えて国鉄の分割民営化などを行なっていた時期で、まさに戦後復興から高度成長をなしとげ、「これからの日本が目指すべき国のあり方」が問われていた時期です。水戸一高というところは、ませた生徒が多いところで、そのころから私は友人たちとよく口角泡を飛ばして、「日本にとっての戦後社会は一体なんだったのか」などという政治の話をしておりました。

現代社会の授業では教科書などは使わず、「政教分離とは何か」とか「日本社会にとっての天皇とは」などをテーマにして学生運動を経験した先生と激論を交わしておりました。私は、ろくろくわかりもしないのに、岩波文庫を机の上に積み上げて、マルクスがどうの、西田哲学がどうの、という精一杯背伸びした知ったかぶりをしていました。今から考えると、当時の日本の中でも、水戸一高はまさに日本のガラパゴスみたいなところで、旧制中学や旧制高校のようなバンカラな教養主義の香りが残っていたのです。

2次会になると、だんだんお互いに高校生の頃に戻ってきて、あちこちで熱い話が交わされています。何人かは私に「実はオレも高校生のときは政治家になりたかったんだよ」とか「今の世の中おかしいと思うけど、同級生が政治の世界にチャレンジしているのをみて、自分もできることを何かやってみようと思った」などと話してくれました。やっぱり一高生は自分の楽しみだけを考えるのではなく、世の中のことを考える熱い人が多くて、話していると刺激を受けます。隣の席では、友人が当時の現代社会の先生に高校生の時のように議論を吹っかけていて、エキサイトしていました。

私が政治を志した原点は、明らかに水戸一高にあります。私が今持っている政治理念も議論好きな性格も、水戸一高時代に育まれたものです。単に進学のための勉強をさせるのではなく、(たぶん生徒をほったらかしにしているだけなのかもしれないが)生徒の自主性を重んじ、熱くて個性的で教養ある仲間と出会う場をいただいた水戸一高に感謝します。