福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

『自民党農政誌』を読む

浪人中の趣味でもある戦後農政史の勉強のために、ある人が贈呈してくださった『自民党農政史』を読んだ。5センチほどの分厚さのこの本は、55年体制が成立した年から民主党政権政権交代するまでの自民党農政を、自民党政調のベテラン吉田氏が詳細に記録したものである。

 「私は族議員という名前が嫌いですが、読者の興味をそそるように、またマスコミがそう呼んできましたので、あえて「農林族」と使うことにしました。それらの族議員を、本来は専門議員と呼ぶのがふさわしいと思っています。それら族議員が体を張って農政を守り築こうとして姿を読み取っていただければ幸せであります」とあるように、戦後農政が確立されていく熱い政治プロセスが浮き彫りになっている。

 農政の基本である農業基本法を制定するときに、当時の池田首相がこの必要性を説くために全国遊説するにあたって最初の地に選んだのは水戸市昭和36年3月19日に水戸二中体育館で開かれた演説会で、池田首相はこう語っている。

 「私は小学校のとき水戸藩主斉昭公のあの農人形の話を聴き、いまいろいろ思い出したのでございます。皆さん、斉昭公は毎朝、農人形を食膳に置かれ、一飯をささげてから後に食事をせられたのでございます。「朝な夕な、飯食うごとに忘れじな、めぐまぬ民にめぐまるる身は」というあの歌、皆さんご存じでしょう。こういう気持ちが水戸学の中心になっておったと私は感じます。水戸学は、単に国体論とかあるいは武士道の勉強ばかりではございません。この斉昭公の気持ちが大日本史の編集をいたさしめ、またこの気持ちが荒廃する農村を復興させたのでございます。皆さん、この水戸には先人がたくさんおられました。たとえば小宮山楓軒先生をご存じでございましょう。郡奉行として、やせた貧農を建て直された農政の先駆者でございます。これを思い、農人形を考えて、農政問題はまず第一に水戸においてやるべきだ、ということを私は考えたのであります。」

 この池田内閣において、河野一郎のブレーンとして農相を務め、農業基本法制定に尽力をした一人が私の親族である重政誠之であり、その後同内閣の農相として同じように奔走したのが赤城宗徳であり、私がそのお孫さんと選挙で戦うことになるのは、何かの因縁なのだろうか。

 「農は国の礎」。農政が、単に一つの産業の振興政策ではなく天下国家そのものであった「自民党農政」。単に支援団体の票をどうするのかというケチ臭い政治屋的議論ではなく、農政を巡って交わされた「この国はいかにあるべきか」という熱い議論を思い返しながら、「真の保守」とは何かということを改めて考えさせられた。

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