福島のぶゆきアーカイブ

これまでにWebで公開したものの記録です

『公』

〇猪瀬直樹さんの新刊『公』を読了。猪瀬さんとは、通産省の大臣官房で遊軍的な仕事をしている時、大量の蔵書に囲まれた西麻布の事務所に出入りしていた頃からのお付き合い。

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 「作家生活40年の集大成!」と帯には書かれているが、表紙の質感といい、「公」という漢字一時のタイトルといい、かなりの思いのこもった力作であることがうかがえる。この夏に読むべき、お薦めの一冊だ。

 多くの官僚が若いころ一度は読む名著『昭和16年夏の敗戦』と、今現在行われている安倍政権での新型コロナウイルス対応をシンクロさせることから、文章は始まる。

【総力戦研究所の研究生の模擬内閣が「日米戦日本必敗」の結論に到達できたのは、曇りなき眼でものを突き詰めるファクトとロジックの力があったからだ。しかし、そうした知性も実際の意思決定でいかされることはなく、むしろ鈴木企画院総裁が出したデータに象徴されるように、ムードに沿うかたちでファクトもロジックも歪められていった。大本営政府連絡会議の開戦反対派はそこで敗れてしまったのだ】

 日本国政府がそうした判断の誤りを繰り返してきたのは、明治維新以来「公」の概念を誤って捉え、あたかも「公」を官僚組織が独占的に担うような社会になってしまっていることにあることを説く。

【幕末から明治にかけて産業革命の波が、蒸気船、溶鉱炉、紡績機を運んできた。「社会」という概念がなかった時代に、福澤諭吉は「人間交際」という人と人との関係の新しい概念をつくった。人と人が集まり、一つの空間を共有する、日本にはそれまでなかった広場にあたるもの、それが「人間交際」の意味である。「公」の土壌はこうして用意されるはずだった。】

【広場で行われる討議から新しい「公正」な意見と合意が生まれる。だが日本はタテ社会とかタコ壷だとか、つねに広場と逆方向への力学がはたらいてしまう。】

【初代内閣総理大臣伊藤博文はヨーロッパの学者にいまは百家争鳴している暇はなく、まず官僚機構を促成栽培せよ、と忠告され明治憲法をつくった。日本は敗戦を挟んでも、その間に合わせの状態のまま現代に至った。先進国にも官僚機構はあるが、ビジョンをつくるシンクタンクや多様な言論空間が別に存在している。日本は官僚機構がシンクタンクを兼ねている。民間のシンクタンクと称するものや記者クラブ依存のメディアは官僚機構の下請けでしかない。広場をつくらない、あるいはつくることが苦手で、そのまま今日まで来ている。官僚機構は事務能力に長けているだけで、決断はできない。】

 これらは、私たちが橋本行革の時に立てた仮説とほぼ同じであり、今回の新型コロナウイルスへの対応で見られるように、この宿痾を我が国はまだ克服できていない。

 『公』では、社会の中に「公」を根付かせる役割としての近代以降の文学の流れも書き連ねられている。森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治そして三島由紀夫。小学生の時、母親の本棚に遭った夏目漱石全集を読み漁り、中学生になって太宰治にかぶれ、その後三島由紀夫にはまって全著作を読破した私の読書経験そのものだ。

 青年時代作家を目指していた私は、それが叶わず政治を志し、その第一歩として官僚の世界に身を置いた。猪瀬さんは作家として名を成したのち、道路公団民営化で政治の中心に躍り出て東京都副知事から都知事へと駆け上がり、一度挫折した。大作家と私を並べるのは大変おこがましいが、明治維新で近代化したことになっている日本社会に足らざるものを見つめる視点は、同じように思う。

 猪瀬さんもまたいずれ政治に求められる時が来ることであろう。私も、この30年の日本の閉塞状況の根源である、明治維新以降なしえなかったことを少しでも成し遂げるために、精進してまいりたい。